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2017年12月13日23:58

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新・音盤雑談帖(その61)―クレメンス・クラウスニュー・イヤー・コンサート1951〜54

さて。わたくしの様な因循姑息にして、頑迷固陋な音楽的嗜好の持主は、ウィンナ・ワルツと申しますと真っ先にクレメンス・クラウスの演奏が脳裏に浮かぶのでありまして。わたくしが蔵して居ります、クレメンス・クラウスのウィンナ・ワルツ集は、CD時代の初期に購入したもの。
これがわたくしの大嫌いな、音の明瞭度はあるものの、無理矢理音を詰め込んだような窮屈な響きの代物。確か、LPレコードと大差のない音の状況に(大体CD化されると、昔でも音の状況は幾らかは改善されたもの、なのでありますが)随分がっかりしたものでありました。

それから幾星霜(ざっと30年近くの歳月が流れている事になりますが)。この程、デッカの廉価盤レーベル的位置付けである、豪エロクエンスよりリマスタリングを施された、クレメンス・クラウスのウィン痾・ワルツ集が謳い文句に曰く、"First International CD Release"との宣伝文句も賑賑しく発売される事になりまして。さあて、どんなものかと先日購入してまいりました。何回か聴き通したので、感想文を少々。

収録曲目の一曲目(一枚目のCDの、でありますが)「こうもり」序曲。わたくしはこの曲が大好きでありまして。最近のニューイヤー・コンサートでは演奏の機会に恵まれていない様なのが実に残念。さて、リマスタリングの効果は如何に、と聴き始めて一聴三嘆。音の鮮度が格段に違うのに吃驚仰天。或いはこれは、最近昔の国内盤の音質の脳内記憶劣化現象か―なんでもなんでも輸入盤マンセーの傾向がわたくしにはあるので―と思い、久々に国内盤を引っ張り出して聴き比べてみる事暫し。これは脳内補正の賜物ではない事を再確認致しました。
例えていうなら、それまで中華料理店の、煙油ですっかり煤けて仕舞った窓ガラス越しから眺めていた景色が、煙油の汚れを綺麗に拭い去った窓ガラスから、同じ景色を眺める程の違い。

他の曲もあれこれ聴き比べてみましたが、わたくしの嫌いなデッカのモノラル録音に特有の、窮屈な響きが完全になくなった訳ではないものの、非常に改善されてこのリマスタリング盤だけを聴いている限りでは、気にならない程に。これまたわたくしの大好きなウィンナ・ワルツの曲の一つである、「春の声」や「ウィーンの森の物語」のホールトーンの豊かさには、思わずうなり声が上がって仕舞う程。
この音盤の特色であったクラウスの演奏の特徴である気品やエレガンス、優雅にして練り絹の様な、ウィーン・フィルの弦楽器の音色が一段と鮮明な音質で楽しめるのは大変に有難い限り。無論「騎士パズマン」のチャールダーシュの様に(個人の独断と偏見まみれの感想でしかありませんが)、余り音色の改善が見られない曲もありますが、総じて音の解像度・明瞭度はそれこそ一皮も二皮も向けた印象。いやあ、思い切って(と云う程の決断を有した訳ではありませんが)購入してみて良かったですねえ。

最近はこうした情緒纏綿にして気品にも事欠かない、優美なウィンナ・ワルツを聴ける機会が(伝統のニューイヤー・コンサートであっても)めっきり減って仕舞いましたが、そうした昔ながらのウィンナ・ワルツの演奏ならば、矢張りクレメンス・クラウスの右に出るものはいないなあ、と改めて感じ入りました。尤もクラウス自身も、残された実況録音盤で聴くと、良い意味で結構灰汁の強い、ぐいぐい押してくる演奏を聴かせてくれるのですが、スタジオ録音である分、音の状況で有利なこのデッカ録音のウィンナ・ワルツは余人を以て代えがたい魅力に溢れている、と申せましょう。

惜しむらくは、クレメンス・クラウスによる録音が、この2枚組のCDに収録されたものしか残されていない事。言っても詮無き事ではありますが、もう少し天がクラウスに、一段の寿命を与えてくれたならなあ、と思わずにはいられない音盤でありました。
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