此処の所、どうした流れか旧帝国海軍の沈没艦船の画像が撮影されて居ります。この程、先達て戦艦武蔵の船体を発見した同じチームが、同じくレイテ沖海戦で沈没した戦艦扶桑・戦艦山城と思われる船体を発見したそうです。
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戦艦「山城」「扶桑」発見の調査チームが戦艦の状況説明 駆逐艦「満潮」「山雲」「朝雲」も
太平洋戦争中の1944年10月、米軍に撃沈された旧日本軍の戦艦山城や扶桑などとみられる5隻をフィリピン南部スリガオ沖の海底で発見した米資産家ポール・アレン氏の調査チームが7日、スリガオで記者会見し、船体の状況を説明した。調査ではほかに駆逐艦満潮、山雲、朝雲とみられる船体も見つかった。周辺海域には重巡洋艦最上も沈んでいるとみられるが、海流が強く今回は発見に至らなかった。
調査に協力したフィリピン国立博物館関係者は6日、取材に「船体をどうするかはまだ決まっていない」と話した。日本の国立公文書館アジア歴史資料センターや防衛関係者によると、山城と扶桑は姉妹艦でいずれも全長約200メートル、幅約30メートル。満潮などとスリガオ海峡からレイテ湾に入ろうとしたが、米軍の攻撃により沈没した。アレン氏は米マイクロソフトの共同創業者。2015年には、米軍の攻撃を受けフィリピン中部シブヤン海に沈んだ戦艦武蔵とみられる船体も発見した。
<引用終了>
出典Web:
http://www.sankei.com/life/news/171207/lif1712070036-n1.html
この2隻の戦艦は、恐らく大東亜戦争を戦った聯合艦隊旗下の戦艦としては、最も悲劇的な最期を遂げた戦艦として、知られているのではないか、と思います。日本側の記録では、最期の様子を公式に伝えるものがなく、両艦の乗組員の生存者は殆どいない、という有様(山城で10人、扶桑で1人という記録もある様です)。
前回の武蔵並みの画像が撮影できたのかどうか、続報を待ちたい所です。
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