綺麗な戦争、イラク戦争だ。
しかし、新体制を建てたのちに泥沼になった。
テロが多発した。
昔から戦争には残虐性を生む。
生きるか死ぬかを繰り返し、心は壊れる。
ベトナム戦争の帰還兵はみな精神病になった。
例えば、村を見つけて、死線の兵は何をするか?
憎しみは、強奪強姦焼き討ち。拷問。
等に発展する。
なぜか?どうせ死ぬからだ。
どうせ死ぬなら、かまうまい。やることやって死ぬ訳だ。
指揮官は無情に戦線を指揮する。
怪我人病人は、置き去りか殺すかだ。
日本でも信長公は残虐だった。
やはり脱走兵や失敗には打ち首を科した。
また村も山も焼いた。
光秀はこれを討った。当時なら、救世主だ。
信長公以前は、そこまで残虐なことは稀だったかも知れない。
武将たちは号令によってまとめることを考えたし、
あくまで武士間の戦だった。
家康公は人徳があった。
残虐な話はほぼ聞かない。
しかし、戦争というのは、
人の闇が拡がる。
死と憎しみが関わる。
終わらない復讐も怨みも。
勝った方も負けた方もだ。
強奪強姦、テロの泥沼。
そして国庫の膨大な支出。
必ず負の面が顔を出す。
我々は、馬鹿みたいな理想の旗に、戦端を開くかも知れない。
しかしそのうちに、実態が顔を出す。
殺し殺され、奪い奪われ、憎しみ憎まれ、犯し犯され、
怨み怨まれる。
どちらもだ。
戦争の実態はこれであり、必ず顔を出す。
どんなに理想の旗を掲げても、だ。
大体生き死にがかかって、何を馬鹿げた理想の話を通す。
結局殺すか殺されるかだ。
指揮官の兵の駒に人間がなれるものか。
或いは終わっても病気だ。
そして社会生活できなくなる。
それに怨霊みたいなのも見るのじゃないか?
指揮官も。
東条公は、戦犯裁判で、どうも怨みを受けていた。
様々な怨みの念で、倒れかかったと聞く。
従って、戦争をしようというなら、どんなに人が乗る理想だろうと、馬鹿の餅だ。
最近はそこに流れていきそうなものだ。
差別感が働いている。
ならば戦争になれば、差別がどう発展するというのか。
家康公は忍耐を学ばれた方だった。
そのような亀鑑があるのに、
学びもしない。
愚か極まる。
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