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2017年09月07日18:03

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忍耐と武

忍耐は金だ。
何事にも。
見方を変えると、時間や努力の成果も、直ぐには現れない。
そういう忍耐もある。
怒りを堪える。これも大事な忍耐だ。
馬鹿みたいだし、損だが、忍耐だ。
忍べば、必ず良い果報になる。
怨みは怨みでは鎮まらず、怨み無きによって鎮まる。
これも忍耐だ。良い果報を結ぶ。
私は些か武道の術を知る。
しかし、やはり忍耐する。
忍耐の中で、こうやれば克てるはず。
と思いもする。
しかし結局しない。忍耐する。
忍耐の良果を知るからだ。
心に思うだけでも武術を習う甲斐はある。
まぁ兇刃とか走り人に備えるものだが。
武術というのは軽はずみな者には、凶器であり、
己を破りもする。
心根を云いもする。
しかし、私には必要な時があった。
その時には学んでいなかった。
そういう事だから、後にも必要な時があるかも知れない。
だから習う。
後にあろうがなかろうが、習うのだ。
必要な時に学べていなかったからだ。
私も軽はずみに用いはしない。
武道というのは敵を求め敵を作る一面があるからだ。
またやられまいと習うものだが、
凶器に用いれば、自分の影と戦うような事にもなる。
そういう修練は辛いものだ。
やられる前にやる。そういう類いに落ちる。
護身術とよく言うが、それは綺麗事でもある。
何故なら武術を為せば、敵が傷付くからだ。
結局は、傷つけ過ぎずに克つために武術はある。
己も勿論傷つきもするが、戦いの場であれば、
言うべき事ではない。
剣道に気を言うが、
これは己が傷つくを懼れぬ気である。
とにかく勝って場を収めるものだ。
だから兇刃や走り人と言う。
言ってしまえば、腕足一本やられても、喉を押さえるものだ。
それも寸に留めて。
武術家は心根が大事なのだ。
自制と忍耐、そして鍛錬。
また傷つくを懼れぬ気を養うものである。
話が随分饒舌になったが、
武道にも忍耐はあり、
忍耐の中に術を思うもありなのだ。
用いずとも習うものとも言える。
しかし、必要を感じるかどうかでもあるが。
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