『
太陽のめざめ』
教育やしつけの大切さ、幼少時の家庭環境が人格形成に大きな影響を与えることは誰もが承知だろう、おそらく影響を与えているとは知らない当の親を除いては…。
人は自分を変えることができるのか。
いかなる人にもやり直す機会は与えられるべきなのかは重大なテーマ。
ともすると説教臭い道徳映画にも見えるかもしれないし、展開に意外性はあまりないともいえるが、真に迫る演技合戦には痺れる。
負が負を生む連鎖は見ていて気分良くはないが、現代人が抱える問題であることは疑いようもない。
親には親の憂慮すべき点があったのかもしれないが、それにしても無責任さにはあきれるばかり。
母親から十分な愛や慈しみを受けてこなかった少年だが、心の底では家庭への愛に飢えている。
それが少女とのぎこちない出会いであり、作品を通して紡がれる。
幾度となく失敗を繰り返すマロニーを実の母親以上に厳しくも暖かく見守るフローランス判事にはある種の理想像を見る。
ここまで我慢強く耐えることができるだろうか?
自身の育ちの問題を乗り越えようとするマロニー少年よりも、我々はフローランス判事になれるのかが問われている気もした。
エマニュエル・ベルコ監督は俳優出身だけあり、芝居に見せ場がたっぷり。
自堕落な母親役のサラ・フォレスティエ、判事役のカトリーヌ・ドヌーヴも一クラス上の存在感を見せる。
とりわけアラン・ドロンの再来ともいわれ、マロニーを演じたロッド・パラドの研ぎ澄ましたナイフのようなキレ具合(凡庸な表現だが、これがピッタリ)が抜群。(邦題の『太陽…』はアラン・ドロンからの想起だろうか…。)
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