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2016年09月03日21:12

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奇妙な戦争とサン=テグジュペリ

「1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻すると、9月3日にフランスとイギリスはドイツに対し宣戦布告し、軍を動員してフランス・ドイツ国境およびフランス・ベルギー国境沿いに大規模な陸軍部隊を展開した。一方のドイツ陸軍は、主力をポーランド方面に進撃させたため、弱体な兵力が西部国境沿いに展開しているだけであった。空軍も数十機を有するのみで、もし英仏軍が一挙に攻勢に出れば簡単にせん滅されかねなかった。」

「イギリスとフランスは、ドイツとポーランドの開戦前にポーランドと軍事協定を結び、ドイツからポーランドに攻撃があった場合は直ちにドイツを攻撃すると約束しており、ドイツ・ポーランド開戦後は対独攻撃に入ったかのように宣伝していたが、実際には戦闘行動は取っていなかった。」

「戦闘休止状態が長引くにつれ、国境をはさんで対峙する将兵たちにも戦意の低下が見られ、双方の兵士たちがタバコや菓子を交換し合うような光景も珍しくなくなり、敵前で堂々と日向ぼっこをするようにもなった。戦争状態にあり、しかも国境を接しているにもかかわらず戦闘が生じないことから「まやかし戦争(いかさま戦争)」との名称が生じた。」

ウィキペディア「まやかし戦争」の項より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%82%84%E3%81%8B%E3%81%97%E6%88%A6%E4%BA%89

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「今日は何の日」というNHKラジオ第一の朝の放送で、1939年の英仏による対独宣戦布告のことを紹介していた。

上に引用したのは、その宣戦布告直後の戦線の状況。英国では「まやかし戦争」(Phoney War)と言うらしいが、仏国では「奇妙な戦争」(Drôle de guerre)と言っている。この「奇妙な戦争」という言葉は、サルトルなど、当時を生きたフランス人の著作や伝記などにも出てくる。

このときの英仏の優柔不断が、ヒットラーの増長を許し、仏国は被占領の憂き目にまで遭った。このことは、後に英仏のような戦勝国となった国にも、多くの教訓を与えたのではないかと思う。

個人的には、この「奇妙な戦争」が、サン=テグジュペリの運命に与えた影響について関心を持っている。
彼は、仏軍の偵察機部隊のパイロットとして、絶望的な劣勢の中で危険な飛行任務に就くことになる。多くの仲間を失ったことは、彼の戦争観だけでなく、生死観にも影響を与えたのではないか。

そんなことを考えた朝だった。

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