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2016年08月15日00:28

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歴史之雑談帖(その173)―天正遣欧使節少年団のフレスコ画、見付かる

昔々(こればっか)、わたくしが中学生の頃、歴史の時間に『天正遣欧少年使節』と云う、当時の日本人キリシタン信者の少年4人が、遠く欧州はローマ教皇の許にに派遣された、と云う事象を習いました。時代が切支丹に寛容な時代から、その後取り締まりが強化される趨勢となり、殉教した者、異国に追放された者、棄教した者と運命はまちまちであった訳ですが。
その天正遣欧使節を描いたフレスコ画が見付かったそうです。

<引用開始>

天正遣欧少年使節のフレスコ画、法王の子孫宅で発見

16世紀に九州のキリシタン大名・大友宗麟らが送った天正遣欧少年使節の伊東マンショらが、1585年に当時のローマ法王グレゴリウス13世(在位1572〜85)と面会した様子を描いたフレスコ画が、ローマにある法王の子孫の邸宅で見つかった。絵は19世紀半ばに、法王の子孫のアントニオ・ボンコンパーニ・ルドビジ公爵の発注で、画家ピエトロ・ガリアルディが制作した。邸宅の改築の際に天井裏に隠れ、長い間存在が忘れられていた。米国人研究者が数年前、子孫宅のアルバムから絵の写真を発見。昔の新聞記事や改築記録をもとに天井裏に小型カメラを入れて調査した結果、絵が確認された。

絵の少年らは着物を着て親書を携え、中国風の髪形をしている。描かれたのは日本が鎖国を終えて開国した頃で、美術史家の藤川真由さん(43)は「日欧関係の端緒を開いたのはグレゴリウス13世だったと、子孫はフレスコ画に残したかったのだろう」とみる。子孫のニコロ・ボンコンパーニ・ルドビジ公爵(75)は近く絵を覆う天井を撤去し、一般公開したいという。「私の家族は日本とのつながりが深い。この発見が、日本の皆さんを私たちのそばへ導いてくれることを願う」と話した。

邸宅は団体を対象に予約制で一般公開されている。連絡先のメールアドレスはtatiana@principedipiombino.com

<引用終了>

出典Web:http://www.asahi.com/articles/ASJ8D4K0TJ8DUHBI01V.html

フレスコ画、と云う事だったので天正遣欧少年使節が派遣された時代に描かれたものか、と思ったら当時のローマ教皇の子孫が、後世祖先の業績を記念する為に描かれたものだそうでして。何だそうか、とちょっと落胆しましたが、描かせた子孫は自分の祖先の一人が、こうした歴史的な場面の当事者であった事を、誇りに思って描かせたのでしょうね。『野蛮な国の住民の、黄色いエテ公が、忝くもうちの御先祖様の御眼通りが叶った』と云う、上から目線ではなかったと思いたい所(黄色いエテ公、であれば態々絵を残したりはしないでしょうし)。

この時代の後、様々な問題があって結果、所謂鎖国の時代になる訳ですが、鎖国が無かったらその後の国際社会はどうなっていたのでしょうね。
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