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2016年03月01日00:15

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ローカルニュース之雑談帖(その167)―トキワ荘での街おこし

トキワ荘と申しますと、後の漫画家たちが若かりし頃(未だ世に出ない頃)明日を夢見て生活を共にしたアパート、として有名であります。わたくしが大学生になる頃までは、そのまま残っていましたが、老朽化の為に取り壊されて今日では跡形もないと云うのも良く知られた所。そのトキワ荘を題材に、街おこしをしようと云う動きがあるそうで。

<引用開始>

120万部売れた鉄腕アトムのソノシートはこうして生まれた…トキワ荘跡で聞いた手塚治虫ら漫画家の秘話 東京・南長崎 

手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫ら著名な漫画家が無名時代に住んだアパート「トキワ荘」。漫画家の梁山泊とも呼ばれ、夢を語りあった様子は、手塚らの「トキワ荘青春物語」、石ノ森章太郎の「トキワ荘の青春」、藤子不二雄の「トキワ荘青春日記」などの漫画、梶井純の「トキワ荘の時代」などの小説、さらに市川準監督の映画「トキワ荘の青春」など多くの作品で紹介されているので、名前はご存じかもしれない。今、トキワ荘を街おこしに利用したプロジェクトが地元で進められている。

■才能を認められると入居できた
トキワ荘は、池袋から西武池袋線で1駅の椎名町駅からほど近い場所にあった。1952年に建設された木造2階建てアパートで、4畳半の部屋が10室。上京した手塚が編集者に誘われて入居したのが漫画家が集まるきっかけといわれている。手塚は1年半ほどしかいなかったが、やがて「スポーツマン金太郎」などで知られる寺田ヒロオ(1931〜92年)が若手漫画家らに切瑳琢磨しようと呼び掛け、入居させたようだ。後の著名漫画家が偶然集まったのではなく、入居できたのは、それだけの才能が認められたいうことだろう。貧しいながら、漫画に青春をかけ、締め切りが近づくと手伝いあったり、原稿が落ち(締め切りに間に合わない)そうになると、代わりの原稿を提供したりしていた。

■消えてしまった「遺跡」
そのトキワ荘があった周辺の2つの商店街(南長崎ニコニコ商店街、目白通り二又商店会)や豊島区、町会などが地域の活性化を進めようと、「トキワ荘通り協働プロジェクト協議会」を結成。記念碑「トキワ荘のヒーロー」を南長崎花咲公園に、モニュメントをトキワ荘の跡地に設置したり、案内所「お休み処」を開設したりするなどの活動を進めている。というのも、多くのファンが訪ねてきても、トキワ荘はもちろん、漫画家が利用した銭湯(あけぼの湯、鶴の湯)、喫茶店(エデン)、電話局(落合電話局)など、ほとんどが消えてしまっているからだ。地図を作成し、数少ない現存する「遺跡」である中華そばの「松葉」や「子育て地蔵尊」を紹介するのも役目だ。

活動の中心になっているのが、ニコニコ商店街で時計店「スエヒロ堂」を経営する小出幹雄さん(57)だ。さらに、漫画やアニメ文化を研究・振興するとともに、トキワ荘を支えた地域の絆を伝えようと、2012年に発足したのがNPO法人「日本マンガ・アニメトキワ荘フォーラム」だ。パネルディスカッションや講演を開催して、地域文化を発信している。

■「鉄腕アトム」でミリオンセラー
同法人の活動の一つ、トキワ荘塾が2月20日に開かれたのでのぞいてみた。会場はトキワ荘跡地に建つ「日本加除出版」。法律関係の本を中心とする硬派の出版社だ。

6回目となるこの日は、朝日ソノラマの元社員、橋本一郎氏(79)が講師。1963年、「鉄腕アトム」のソノシートをつくり、120万部のミリオンセラーを作った伝説の編集者だ。ソノシートとは、レコードのように固いビニールではなく、薄いフィルム状の円盤にレコードのように音源の溝を刻んだもので、安価で作れるため、雑誌の付録にも利用された。

テレビアニメの「鉄腕アトム」のテーマソングを子供たちが歌っているのを聞いて、「どこもレコードにしていない」と気付いた橋本氏は、虫プロ(手塚が創設したアニメ制作会社)に掛け合って製作を始めた。ソノシート用の漫画原稿を依頼したのだが、当時の手塚は超売れっ子。まだ軍隊帰り、特攻隊崩れのような編集者が多く、けんか腰で原稿を奪い合う中、締め切りまで原稿をもらえず途方に暮れていると、虫プロの幹部から「アニメ用のセル画があるから借り出していい」といわれ、セル画を転用することでギリギリ間に合ったという。

さらに、当時の漫画、アニメ業界には若い才能が集まっており、漫画家だけでなく、井上ひさし(小説家・劇作家)や宇野誠一郎、富田勲や小林亜星(以上、音楽家)らが活躍していたことや、虫プロが倒産した後も離れずに付き合った編集者のために義理堅く作品を提供したのが「ブラック・ジャック」(秋田書店)「三つ目がとおる」(講談社)、そして当時、橋本氏が在籍していた少年画報社の「鉄の旋律」だった、という話などを約2時間にわたって話してくれた。約50人の参加者は興味津々に聞き入った。

講演後の交流会では、トキワ荘のメンバーが好きだったという焼酎をサイダーで割った「チューダー」で乾杯し、地元の「松葉」のラーメンを食べ、当時を懐かしんだ。もちろん、前出の小出さんも参加し、裏方として会を支えていた。小出さんはトキワ荘の黄金時代に生まれたのだが、若き漫画家たちはきっとこうして地域の人に支えられて育っていったのだろうなと思わせる時間だった。(慶田久幸)

【メモ】トキワ荘跡(東京都豊島区南長崎3の16の6)は、西武池袋線椎名町駅徒歩11分、都営地下鉄大江戸線南長崎駅徒歩8分。問い合わせは、トキワ荘通りお休み処(電)03・6674・2518。

<引用終了>

出典Web:http://www.sankei.com/premium/news/160225/prm1602250005-n1.html

ソノシートとはまた懐かしい言葉が出て来ましたねえ。わたくしも幾つか当時のテレビ漫画のソノシートを買って貰った記憶があります(わたくしは鉄腕アトムよりも鉄人28号の方が好きだったので、確か鉄人28号のソノシートを買って貰った記憶が)。しかし若き漫画家諸氏が此処で生活していた当時を偲ばせるものは、殆どないというのはちと残念でありますね。まあトキワ荘自体、それ程立派なアパートでは無かった様ですし、止むを得ない所でありましょうが、それでも漫画好きであるわたくしとしましては(もうじき還暦に手が届こうか、と云う良い年齢をしたぢぢいではありますが)、一度は足を運んでみたい所ではありますね。
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