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2015年11月25日23:57

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歴史之雑談帖(その158)―45年前の今日

表題にも掲げましたが、45年前の今日は作家の三島由紀夫が陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた日であります。憂国忌とも呼ばれる様ですが、実は別に三島由紀夫を語ろうと云う意図はありませんで。

わたくしは三島由紀夫の作品は、不道徳教育講座と云う随筆を読んだ事があるのみ。それも今を去る事半世紀近くも前の小学6年生の頃、たまたま担任の同僚の先生が読んでいた本を、タイトルに惹かれて読んだだけ、であります。その後読み返した事がないので(その時の全体の三分の一程読み進んだ所で、本の持ち主の先生が席に戻って来て「幾ら何でもこりゃ小学生には早過ぎるよ」と笑った事を覚えているだけ)、何が書かれているか全くと言って良い程記憶に残って居りません。

三島由紀夫の作品として有名な『仮面の告白』『金閣寺』も読んだ事がなくて、どうも今後も三島由紀夫の作品には縁がなさそうでありますね。
では、なんだってこんなタイトルを付けたか、と申しますと、あの日からもう45年も経ったのだなあ、と全く個人的にある種の感慨を覚えたからでありまして。

近年は温暖化の影響なのか、それともヒート・アイランド現象の所為なのか、朝霜が降りるのは、現在わたくしが住む内陸部の埼玉でも、年の瀬の声を聴く頃ではありますが、あの頃はそうではありませんでした。尤もこれは当時わたくしが住んでいた多摩丘陵地帯が、他の地域に比べて標高が幾らか高い、と云う事も影響しているのかも知れませんが。
その頃は勤労感謝の日を過ぎて1週間程の間に、霜が降りるのが通例でありまして、この日も確か霜が降りて居た様に記憶して居ります。学校の教室には未だストーブは入っていませんでしたが(ストーブも石炭ストーブでしたね、まだ。確か次の学年か、その次位の学年から、石油ストーブが導入されて、「えらい差別だよなあ」と憤慨した記憶が)、教室にはもう据え付けられていたのでは。

で、普通どおり授業を受けて、クラブ活動(柄にもなく当時はサッカー部に入っていましたが)を終えて帰って来ると、母親が「大変だ。三島由紀夫が腹切り自殺をした。テレビのその話題ばっかりよ」と甚く興奮していたのを覚えて居ります。

そんな日から、既に45年もの歳月が過ぎて仕舞ったのだなあ、とちょっと感慨を催したのでは、最近復刊された故柴田南雄氏のレコード論評集(資金繰りが付かずに未だ購入出来ていないのでありますが)の中に、1970年代後半に発売された、フルトヴェングラーのバイロイト音楽祭の『ニュルンベルグのマイスタージンガ―』(1943年の実況録音)にふれている文章がありまして。その一節に自分が1943年をつい昨日の事として、記憶している世代である事に改めて思いを馳せる、と云った意味合いの記述があって。
当時この一節を読んだ時は、へえ、そう云うもんかねえと(未だ大学生でありました)妙に感心したものでしたが、そう言えば今日は三島由紀夫が割腹自殺を遂げて……と思い起こして、歳月の隔たりは故柴田氏が感じた以上に開いている事に改めて気付いた次第。ぢぢいになったものでありますねえ、嗚呼。

で、この昭和45年から45年前、と申しますとこれは昭和の始まった頃。その頃のわたくしの中では、昭和初期なんてえのは遠い昔の事。大正世代の亡父が『戦争前』や『戦後』と言ってその頃の事をあれこれ語るのを、「なんでそんな昔の事を」と思ったのですが、今や自分がその立場にある訳で。イヤハヤ、嫌になりますねえ……

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