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2015年10月19日22:05

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六十の悔恨-藤原隆信(1)

ながめても六十(むそじ)の秋は過ぎにけり思へばかなし山の端(は)の月

藤原隆信朝臣

新古今和歌集(1540)

「山の端の懸かった暁近い月にみずからの人生の終わり近いことを思った。極めて平明な調べの歌であるが、それだけに実感は籠もっている。この時代有数の風流才子であったこの人にこの詠があることは興味深い。このような過ぎ去った人生に対する一種の悔恨にも似た気持ちが、最晩年の彼を法然の膝下に走らしめ、沙門戒心として往生させるに至ったのであろう。」

久保田淳『新古今和歌集全注釈(五)』(角川学芸出版・2012年)p.244より

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先日の日記に書いた、慈円の「五十」の歌に続いて新古今に載っている歌。
慈円の歌は、やや複雑な歌であったが、この歌は「平明」であるとのこと。

「秋」の「山の端の月」を詠い込んでいるが、確かにあまり風流な歌ではない。しかし久保田によけば、詠者の隆信は「風流才子」であったとか。風流才子が風流でもなく平凡な感慨を詠っているところが、むしろ「興味深い」らしい。

隆信については何も知らなかったのだが、調べてみたら、ウィキペディアなどにも項があった。若い頃はトントン拍子出世したようだが、途中で「政治的挫折」を味わったのだとか。
有名な国宝「伝源頼朝像」は隆信の作と伝えられているが、最近では否定説が有力であるらしい。
また、「物語『うきなみ』や歴史物語『弥世継』を書いたとされるが、いずれも現存しない」とのこと。

非凡な人物が凡庸な感慨を詠う。
歌には、そういうこともあるということだろう。

■藤原隆信(千人万首)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takanobu.html
■伝藤原隆信《伝源頼朝像》秘めた感情と威厳の美しさ
http://artscape.jp/study/art-achive/1222844_1982.html
■稲田繁夫「藤原隆信考」
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/32045/1/kyoikuJK00_11s_02.pdf
■藤原隆信と石清水臨時祭(一)
http://homepage2.nifty.com/H-Suga/tkk42.html
■樋口芳麻呂『隆信集全釈』 (私家集全釈叢書・風間書房・2003年)
http://www.amazon.co.jp/dp/475991286X

■五十の闇-慈円(1)(2015年10月17日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947039678&owner_id=2312860
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