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2015年10月18日22:50

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点鬼簿之雑談帖(その53)―八代目橘家園蔵氏の訃報

落語家の八代目橘屋園蔵氏の訃報が伝えられました。わたくしは寄席に行く習慣が無いので、又聞きでありますが、近年は高座を務める事は無かった様ですが。

<引用開始>

落語家の橘家円蔵さん死去 「ヨイショ」が決まり文句

「ヨイショ」を決まり文句に明るくにぎやかな芸風で、長らく月(つき)の家(や)円鏡(えんきょう)としてテレビでも活躍した、落語家の橘家円蔵(たちばなや・えんぞう、本名大山武雄〈おおやま・たけお〉)さんが7日、心室細動のため東京都内の病院で死去した。81歳だった。葬儀は近親者で営まれた。連絡先は落語協会(03・3833・8563)。東京都生まれ。52年、後の七代目橘家円蔵に入門し、竹蔵を名乗った。アドリブのギャグや大喜利の謎かけを得意とし、二ツ目の升蔵時代からラジオ番組で人気となり、65年に真打ちに昇進し、月の家円鏡を襲名。82年に八代目円蔵を襲名した。

高座では愛敬とサービス精神に満ち、相手を持ち上げる「ヨイショ」、妻をネタにする「ウチのセツコが」で沸かせた。「火焰(かえん)太鼓」「無精床」といった古典落語に現代的なギャグをふんだんに盛り込んだ。「談志・円鏡歌謡合戦」(ニッポン放送)で立川談志さんとナンセンスなギャグの応酬を繰り広げたほか、「午後2時の男」(文化放送)など昼のラジオ番組を長く務めた。焼き肉のたれや眼鏡洗浄剤などのテレビCMでも知られた。

■「寝床」は円蔵でなければできない落語

〈落語家の三遊亭金馬さんの話〉 具合が悪いとは聞いていたが、それほどと知らず、驚いた。ここ2、3年会えないまま、残念です。円蔵が入門したての頃からよく知っている。陽気で破天荒なしゃべり方。「寝床」などは円蔵でなければできない落語だった。いたずら好きで、ちゃめっ気のある人柄で慕われていた。急に亡くなったと言われて、寂しいですね。

<引用終了>

出典Web:http://www.asahi.com/articles/ASHBJ4563HBJUCLV006.html?iref=comtop_list_obi_n03

園蔵の名前を継いで、30年以上になる訳でありますが、わたくしにとりましては月の家円鏡、の名前の方が印象深いものが。ただ、どちらかと云うと御笑いタレントとしてのイメージが強かった様な。記事に言及はありませんが、TBSで放送されていた「お笑い頭の体操」にレギュラーで出演していて、何時ぞや円形脱毛症に悩まされていた(わたくしは円鏡さんの発症で、初めて世の中には円形脱毛症と云う病気がある事を知りまして)事を覚えて居ります。

落語家、としての園蔵さんでわたくしが記憶に残っているのは、昔々今のテレビ朝日(当時のNET)で長く放送していた、日曜演芸会の後半の定番、お笑い七福神でした。色々なお題を出しては回答を求める大喜利でありましたが、回答が冴えないと回答者に墨を塗る荒業。尤も後に明かされた所では、あの墨にはコールド・クリームが混ぜられていて、簡単に落ちる工夫がされていたそうでして。それでも登場する落語家さん達が、毎回顔全体にばってんを付けられたり、目の周りを真っ黒く塗られたり、と中々面白いものでありました。

ふと思って、当時このお笑い七福神のレギュラーだった落語家さん達はその後どうしているか、チェックを掛けてみたら柳家小せんさんも古今停志ん馬さんも既に鬼籍に入られて、健在なのは司会をされていた桂米丸さん、当時は未だ若手だった古今亭志ん駒さん、桂小益(今の桂文楽さん)位になって仕舞って、寂しい限り。

昭和の落語界を支えた噺家さんがまた一人世を去られて、大いに寂寥感を感じる次第です。謹んで故人の御冥福をお祈り申し上げたく思います。
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