「注目すべきは、両訳[円地訳と瀬戸内訳]が加筆を通して「女性が女性の性を積極的に描いた」ことである。」
「両訳の間には25年の隔たりがあるが、女性の性表現のあくなき追及は両訳に共通している。」
「戦後しばらく両者は少女小説で生計を立てていたが、50年代に入るころから積極的な執筆活動を開始する。そして1957(昭和32)年、円地は「二世の縁−−拾遺」を瀬戸内は「花芯」をそれぞれ発表し、いずれも作品中に用いられた「子宮」という言葉が物議を醸した。女性が自らの性を含めた欲望を表現することがタブー視されなくなったのは80年代以降ともいわれるが、両者はそれよりはるかに早く、50年代には既に女性の「性」を正面から取り上げていた。瀬戸内が「花芯」によって「子宮作家」呼ばわりされ、しばらく発表の場を失ったことが示すように、女性が女性の性をテーマとするがゆえの否定的評価も多く寄せられたが、両者はその後も臆することなくそれぞれの創作作品において女性の性を積極的に描いていった。」
『講座源氏物語研究 第十二巻 源氏物語の現代語訳と翻訳』(おうふう・2008年)所収
北村結花「「読みやすさ」の衣をまとって−−円地文子訳と瀬戸内寂静訳」p.280より
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『源氏物語の現代語訳と翻訳』という論文集が、意外にもブックオフにあり廉価で売っていたので買ってしまった。
この論文集には、与謝野訳、谷崎訳はもちろんのこと、円地訳と瀬戸内訳から「あさきゆめみし」までが採り上げられている。今まで、僕が素朴な感想として感じていたことなどが、「論文」に相応しい客観的なデータや評価によって「論証」されている。
また、訳を読んだだけでは分りにくい、訳の「時代背景」や「影響」についても言及されているので、色々と勉強になる。
引用したのは、円地訳と瀬戸内訳の共通点に関わる部分だ。北村によれば、これらの現代語訳には「読みやすさ」を狙った「加筆」が多く見られるが、加筆の中には「読みやすさ」という枠から外れたものも少なくないとのことだ。そして、その「余剰」とでも言うべき加筆には、「女性の性表現のあくなき追及」が共通して見られるのだと言う。
残念ながら瀬戸内の『花芯』はまだ読んでいないが、円地の「二世の縁−−拾遺」は読んでみた。
そこでは、確かに「男の性」と「女の性」がテーマとなっていた。しかし、そこに見られる「性表現」は、今日の視点からすると「おぼろ」であり、決してドギツいものではない。ただ、1950年代には、この程度のものでも「物議を醸した」ということに時代の流れを感じるだけだ。
そして思うのは、円地文子という作家が、僕が思っていたほど上品な、というか大人しい作家ではなくて、当時としては挑戦的な作家であったということだ。認識を改めなければならない。
■谷崎源氏(旧訳)における削除と円地文子(2015年09月25日)
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■円地源氏が描く官能美(2015年09月26日)
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■円地文子
(1)頽廃耽美趣味(2015年10月04日)
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(2)二世の縁-拾遺(2015年10月13日)
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