教えおくその言の葉を見る度に
またとふかたの無きぞ悲しき
後大徳寺左大臣
「私に教えおかれた父の言葉を見る度に、二度とお尋ねする方法のないのが悲しい。」
『定家八代抄(上)』(岩波文庫・1996年)p.194より
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先週、義父が逝去し、一昨日は通夜、昨日は告別式を執り行った。
義父は大正生まれで、享年90歳だった。
戦争末期には陸軍少尉だったそうだが、かなりの軍隊嫌いだった。
私大の法学部の在学中に出陣したようだから、戦争も敗色が濃くなってきたところだったのだろう。戦争に駆り出されたことも、軍隊の中でのことも、全て不合理・不条理であったと感じていたようであった。
大正生まれの男として、頑固であり家庭人としては家父長制的だった。そのせいか、その長女である僕の妻は、夫のやることには口を差し挟んだことがほとんどない。
都会育ちの義父は、おしゃれでもあった。
冒頭の歌は、藤原実定が実父・藤原公能の逝去に際して、公能が遺した日記を見ながら詠ったもの。
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