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2015年10月08日22:34

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書を友として

「山城の高槻の樹の葉散りはてゝ、山里いとさむく、いとさうざうし。古曾部と云ふ所に、年を久しく住みふりたる農家あり。山田あまたぬしづきて、年の豐凶にもなげかず、家ゆたかにて、常に文よむ事をつとめ、友をもとめず、夜に窓のともし火かゝげて遊ぶ。母なる人の、「いざ寢よや。鐘はとく鳴りたり。夜中過ぎてふみ見れば、心つかれて、遂には病する由に、我が父ののたまへりしを聞き知たり。好みたる事には、みづからは思ひたらぬぞ」と、諫められて、いとかたじけなく、亥過ぎては枕によるを、大事としけり。」

上田秋成『春雨物語』所収「二世の縁」より
http://homepage2.nifty.com/onibi/niseno.html

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『春雨物語』の中に「二世の縁(にせのえにし)」という小編がある。文庫本で10ページにも満たない短いお話だ。引用したのは、その冒頭部分。

「常に文よむ事をつとめ、友をもとめず、夜に窓のともし火かゝげて遊ぶ」

という言葉に目が留まった。

本を読むことに熱心で、友人を作ろうとしない富農の男であったようだ。
僕自身は、決して友人を作ろうとしていないわけではないが、かと言って、友人作りに積極的なわけでもない。
人と一緒に呑もうと思うのは、よっぽどのときであり、それよりも呑みながら本を読むことの方が好きかもしれない。
20歳代のときは、そうではなかったように気がする。呑んで騒ぐことも決して嫌いではなかった。
ただ、歳をとるごとに、生身の人間よりも「書物」を好むようになってきているような気がする。
その書物も、僕の場合、現存する(現代の)作者よりも、既に亡くなった(古典の)作者のものの方が圧倒的に多い。

上田秋成の時代、つまり江戸の末期の農村にも、そうした傾向を持った人の類型があったのだろう。

古くは、『徒然草』の第十三段に次の言葉がある。

「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなる。」

吉田兼好は、ここで自ら書くほど孤独な男ではなく、もっと社交的な人物であったような感じがする。ただ、彼にも「見ぬ世の人を友とする」ことの密かな愉しみがあったのだろう。

『更級日記』における作者の読書に対する耽溺は、「物語」という虚構に対する憧れによるものであった。
兼好の書物に対する愛好は、白氏文書、老子、荘子と言った古人の思想に対する共感によるものであったろう。書物を通じて、その作者と対話をするような読み方なのであろう。

「二世の縁」に出てきた男が、どのような読書をしていたのかは、分らない。
(この後、この物語の中で、この男のことはあまり触れられない。)

ただ、農村部(山里)にあって「友をもとめず」というまでに書物を愛していたことが分るだけだ。

■田中俊一「春雨物語「二世の縁」の思想性」
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/5071/1/172-01.pdf
■勝倉壽一「春雨物語「二世の縁」私見」
http://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/bitstream/10270/76/1/5-234.pdf
■徒然草(原文)
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/turezure_zen.html
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