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2015年10月06日21:44

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暗黒と魂-イシュメールの人物像(5)

「目をつぶっていなくては、誰しもおのれの存在をまともに味わうことはできない。光明は人間の肉につながる部分にとっては快適であるけれども、暗黒こそわれらの本質にふさわしい要素であるからだろうか。」

田中西二郎訳『白鯨(上)』(新潮文庫・2006年改版)
第11章 p.131より

【原文】
Because no man can ever feel his own identity aright except his eyes be closed; as if darkness were indeed the proper element of our essences, though light be more congenial to our clayey part.

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「白鯨」の中には、死に関する言及がいくつかある。
というよりも、この物語の随所に、「死」というものが染み付いている。
これは、ある意味では当然かも知れない。
「捕鯨」という仕事には、「死」がつきものだ。
第一に捕鯨は、鯨を殺す仕事である。
第二に、捕鯨業では、関係者が死ぬリスクが低くない。
実際、この物語の中で、ピークォド号の乗組員は、イシュメールを除いて全員が死んでしまう。
彼らの墓標が、どこかの地に誰かによって建てられたとしても、その墓標の下に遺骸は無い。

「白鯨」の中での死に関する考察の中で特徴的なのは、肉体的なるものの軽視だ。
冒頭の引用部分で、「おのれの存在(his own identity)」とか「われらの本質(our essences)」などと呼ばれているのは、霊的というか魂とでも呼ぶべきものだろう。そして、その存在や本質と深く関わるのは、「暗黒(darkness)」であるとイシュメールは(あるいはメルヴィルは)言っている。

こうした思想をどのようにとらえるべきか。
そのことは、もう少し物語が進んでから考えてみたい。

■白鯨/メルヴィル/コンラッドに関する日記の目次
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