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2015年10月03日00:19

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病としての偉大さ-イシュメールの人物像(4)

「悲劇的に偉大な人物とは、すでにある種の病的素質を媒介として形成されるものだ。銘記せよ、大望ある若人よ、あらゆる人間の偉大さとは病にすぎぬのだ。」
田中西二郎訳『白鯨(上)』(新潮文庫・2006年改版)
第16章 p.164から

【原文】
For all men tragically great are made so through a certain morbidness. Be sure of this, O young ambition, all mortal greatness is but disease.

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この言葉をどのように理解すべきか。
この言葉を、皮肉や逆説としてしか受け取れない人も多いだろう。
この言葉は、若者のものとは思えない。
これは、人間について、裏も表も知り尽くした経験ゆたかな男の洞察であり、その意味で真実を含んだものであると僕は思う。

僕は、次のように言い換えてみたいとも思う。

偉大なる哲学者の思索の深化の源には、病的なものがある。
偉大な作品を産んだ芸術家の精神には、病んだ部分がある。
歴史的な英雄には、病的な行動が見られる。
政治家などを志す人間には、正常とは言い難い偏向がある。

こうした傾向には、多くの実例があると思う。
そうした実例を多く見てきた経験者が、野心ある若者に対して、

「宿命的な偉大さとは、病に過ぎないのだ」

と注意を促したくなる気持ちは分る。

ただ、そうした警告が役に立つかどうかは分らない。
病とは、警告によって治るものではないのだから。

この言葉は、誰の誰に対する言葉だろうか。
この言葉は、捕鯨航海から生還したイシュメールが、捕鯨航海に向かう前の若き自分に対して語ったものではないか。

彼は、捕鯨船に乗るという自らの大望(ambition)の中に、病的なものがあったことを、後になって悟ったのではないか。

■白鯨/メルヴィル/コンラッドに関する日記の目次
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