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2015年08月07日01:05

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新・音盤雑談帖・購入盤雑談帖(その29)―ジャン・フランソワ・パイヤールのブランデンブルク協奏曲全集

わたくしがクラシック音楽を聴く様になった1970年代半ばから1980年代半ばに掛けては、バッハの管弦楽作品と申しますとドイツ風の演奏ならばリヒターかバウムガルトナー、フランス系の演奏ならばパイヤールと相場が決まっていたものでありました。が、わたくしは(何度も申し上げる様に)当時としても極めて因循姑息な、また時代錯誤的な音楽的好みの持ち主でありまして。バッハの管弦楽ならば編曲版のストコフスキー、オリジナル作品であれば、クレンペラーやシューリヒト、或いはフルトヴェングラーと云った(当時の好みからしても)大時代な演奏が御贔屓でありました。

その後時は流れて幾星霜(こればっか)、バロック音楽の新録音は今や、わたくしが嫌悪して止まない薄っぺらな、また矢鱈とせかせかしたテンポ(大体楽器の演奏性能が、現代の楽器に比べて数段劣る古楽器を、バリバリと弾きまくり、吹きまくる演奏が『正統的』なものか、眉唾物だなあと思う次第)の古楽器派の演奏ばかりが幅を利かせる、個人的には誠に憂うべき状況。嘗て盛んに録音を残したリヒター、パイヤール、マリナー、ミュヒンガーの演奏も、今や宗教曲の歴史的録音の御威光の為か、辛うじてリヒターの演奏が聴き継がれているだけで、先程名前を挙げた指揮者の録音なぞは殆どがお蔵入り。諸行無常、盛者必衰と云う言葉が脳裏に浮かぶ事が屡でありますね(ぢぢいなので大袈裟な言い回しが好み)。

さてそんな状況下、嘗てはわたくしが余り好かなかった某エラートより、エラート・ストーリーと銘打って嘗ての録音の何点かが再発されました。その中に今回取り上げるパイヤールによる、バッハのブランデンブルグ協奏曲の全曲盤が。この録音が現役であった時代(要は代表盤として挙げられていた時代)から、トランペットのモーリス・アンドレ、フルートのジャン・ピエール・ランパルと云う豪華ソリストを並べての録音で夙に名を馳せた録音。その時代にちゃんと聴いた事は、実は無かったので懐かしいと云った様な感慨はないのでありますが、一聴しておお、何と云うふっくらとした響きと大いに心打たれるものが。

わたくしのブランデンブルグ協奏曲の刷り込み盤が、バウムガルトナー盤なので、どうしてもそれとの比較になりますが(世評の高いらしい、古楽器系のゲーベル盤は一聴して、いやこれはとても駄目だと嫌悪感で胸が一杯に)、所謂フランス系の、バッハとしては明るめの演奏として好一対かと。尤もこれはわたくしがフランス系のバッハの演奏と云う物を、従来殆ど聴いて来なかった(独逸系の、がっちりした隙のない演奏が好みなので)、と云う点が少なくないかと思います。

それでも古楽器系の(以下同文)演奏ばかりが幅を利かせ、こうした演奏は「ぼってりとした厚化粧」と一刀両断にされて仕舞う事が多い様ですが、音楽の楽しみの幅を好き好んで狭くする事はあるまい、と音楽的好みもアナクロニズムの極致を言うわたくしなぞは思うのですがね。

此処の所、嘗ては「バッハに対する冒涜」と迄言われた、ストコフスキー編曲版の新録音が相次いだり、或いはストコフスキーの録音が(バッハに限らず)再発される機会が増えているのも、古楽器系の正統派を謳いながら、その実は干からびた、経木細工の様な無闇矢鱈とテンポだけの早い演奏に対する、アンチテーゼではないのか、と云うのがわたくしの独断と偏見。古楽器演奏の一方の雄らしい、某クイケンとやらの支離滅裂としか思えないインタビュー記事を読んで以来、わたくしは古楽器演奏にアレルギーがあるのも事実ですが、まあそれはさておき、このパイヤールやバウムガルトナー(マリナーとミュヒンガーは余りわたくしの好みではないのでパス)辺りのモダン楽器を使った室内管弦楽団の演奏にも、今少し再度光を当てて、音楽の愉しみ方の幅を広げても良いのではないか、と思った次第であります。
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