mixiユーザー(id:2566286)

2015年02月01日14:13

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パートXI

  なにをやってもなにもおこらないというあきらめは、永劫の今此処には存在しない。未曾有の大量殺人にそれが生まれたのだとしたら、あれから100年過ぎたこの時においてもゴダールはシュルレアリストである。ダダイストは問い、デュシャンが芸術を問うということは文明文化を問うことであり、デュラスとデレンは自身/他者と他者/自身を問い、ジャスパージョーンズとラウシェンバーグはアメリカに他者性を見る。
  財力と結びつくファシズムがそれだったのだとしたら、パゾリーニの意思はいにしえの永遠を超えて今此処にある。フリードマンが降臨した後のいまにおいて、ムラカミにもバーニーにもハーストにも悲劇が表される。ロッセリーニは実存をみると同時に本質をおもう。イリュージョンはない。ハリウッドにおいて、ヒッチコックは見ることを掴もうとする。永劫の今此処には存在しないものはない。いま、全体性になることへの抗いに悲劇が生まれている。

             『僕は黒人」 ジャンルーシュ







             『インディア」 ロッセリーニ






            『愛と怒り』 ゴダール、パゾリーニ etc






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