mixiユーザー(id:2566286)

2015年01月30日20:34

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パートX


  クライシスはカタルシスを生む。
   いまや、どこのレンタル屋に行っても、パゾリーニのパの字も見えない。むかしのロックスターは若くして死んだ。だから伝説となった。死なないのはハッパ系ないしコナ系クスリの製品性質向上のおかげなのか。悲劇はどこに行ってしまったのか。クライシスはカタルシスを生む。そんなロマンティシズムの時代があった。Jディーンの死やジェラールフィリップの死も手伝ってか、或いは裏切りの街角が世界各地のどこにでもあったからか甲斐よしひろ? アランドロンはそんな陰りがある時代であるがゆえ,太陽がいっぱいにもかかわらず、悲劇性あるロマンティシズムとして人気があったのだろう。日が沈む,そんな陰りがあるハンサムのひとりであるテレンススタンプも人気があった。だから、かつてはどこのレンタル屋に行っても『テオレマ』は必ずあったものである。いまや、どこのレンタル屋に行っても、パゾリーニのパの字も見えない。
   むかしのロックスターは若くして死んだ。悲劇がロマンティシズムとなる。必然であり逃れることができない悲劇性あるロマンティシズムは、ゴダールとパゾリーニには“心情”としてテーマに表される。ベベルはダイナマイトを顔に巻きつけ爆発し、そして路上で撃たれたり、ピエールレオもゴダールでは死んだんではなかったっけ?死ななくてもアンニュイなラストばかり、ハウスマヌケに最低、、太陽とつながり永遠である。恋愛の都巴里ではカップルはチュッチュッしながらもいにしえのセンチメントが失われつつあるとき、ベベルもカリーナもレオも無機の行動にペシミズム表す。そんな時代だからこそ、主人公は愛をモチベーションに激しく生き永遠となる。アッカトーネも路上で死ぬ。フランコ・チッティは荒野を彷徨い、テオレマのブルジョワジーも永遠の荒野へ。オイディプスもキリストもアッカトーネも詩的に素朴に、運命を生きる。


   ヘルシーでサプリメントなこの時代、ミックジャガーはアリーナを駆け回る。元気をもらえる。そんなこの時代に悲劇性をみてはいけないのかもしれない。しかしながら、伝説であり続けることもイタいのかもしれない。ロマンはイストワールでしかない。だから人はロマンに縛られない方がいいのかもしれない。悲劇はない方がいい。しかし、感受性が失われることも悲劇である。



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