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2015年01月02日20:31

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堀辰雄と源氏物語

仕事納めの30日の会社帰り、古本屋に寄ってみた。昭和44年(1969年)に出された「豪華版」の講談社「日本現代文學全集」があり、その第32巻の「堀辰雄集」が300円で売っていた。

立ち読みしてみると、堀辰雄が、更級日記や伊勢物語や源氏物語について語っているエッセイが収録されていた。堀には、更級日記や蜻蛉日記を題材とした短編小説がある。だから、王朝時代の日記文学や物語文学にも造詣が深かったのだろうと思った。面白そうなので、買ってみた。

帰りの電車の中でページをめくる。
意外だったのは、これらのエッセイの中で堀が、「源氏物語」の原文を通読していないことについて繰り返し弁明をしていたことだ。


「『源氏物語』などが樂にすらすら讀めるやうになつたら、或ひは大いに僕など影響を受けるやうになるかも知れません。しかし、生來註釋書などを讀むことは大嫌ひなので、いつになつたら讀めるやうになるのだか自分にも分りません。聞けば、谷崎さんが「源氏物語」の現代語譯を試みられていらつしやるとか、大いに期待してゐます。これは人の話などを聞いたり、その梗概を讀んだりして空想してゐるのですが「若菜」の卷のあたり、それから「宇治十帖」などは隨分好きになれさうです。前半よりもずつと。そこに出てくる柏木とか、薫大將とかは、光源氏なぞより僕には親しみ深いやうな氣がされます。」
堀辰雄「更級日記など」より

「源氏物語の事などが大ぶ座談の中心になりましたが、同席せられてゐた青野季吉さんなんぞは毎日六時間づつも讀まれて、それで八ヶ月かかつて全部お讀み上げになつたさうです。まあ平安朝の文學を云々するのには源氏物語が一番大事なものでせうし、それを精讀してゐないと話になりませんのに、僕はまだそれすらところどころ走り讀み位しかしてゐませんので、結局默つてもゐたわけですが、――そんな話を聞いてゐるうちに、その源氏が猛烈と讀みたくなつて來て困つてしまひました。」
堀辰雄「若菜の卷など」より


僕は50歳にして源氏物語を通読したので
「そうか。かの堀辰雄もなかなか通読は出来なかったわけだな」
と少し得意な気分になった。

そして、堀が亡くなるまでの間に、結局、源氏物語を読み終えたのかどうか気になった。
何気なく、巻末の「年譜」を見たら、最後の記述は「昭和28年(1953)」だった。その年の5月28日に堀辰雄は永眠したのだ。
そして、彼の享年は「50歳」だった。
晩年の数年は、病気との闘いの日々だったようだ。

50歳というのは、そういう年齢でもあるわけだ。
日々を大切に生きよう。

調べてみたら、これらの堀辰雄のエッセイは、青空文庫でタダで読めることが分かった。
ちなみに、堀が谷崎潤一郎による源氏物語の現代語訳に言及している「更級日記など」の初出は1936年(昭和11年)だが、谷崎のいわゆる「旧訳」と呼ばれる最初の現代語訳が刊行されたのは、1939年から1941年のことだった。


■堀辰雄のエッセイ
「更級日記など」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47910_50022.html
初出:「文藝懇話会 第一巻第五号」1936(昭和11)年5月号

「若菜の卷など」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47950_50025.html
初出:「創元 第一巻第五号」1940(昭和15)年8月倍大号

「伊勢物語など」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47898_50026.html
初出:「文藝 第八巻第六号」1940(昭和15)年6月号

「黒髮山」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47907_42527.html
初出:「改造 第二十三巻第十三号」1941(昭和16)年7月号

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