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2014年11月02日17:18

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シマダサーカス『究極のバランス』

 先日の「久米宏のラジオなんですけど」のゲストはサーカス・プロモーターの大島幹雄さんだった。
「幕末、日本が開国して外国とつき合うようになったとき、旅券発行の第一号はサーカス芸人だった」など、実に興味深い話だった。
 それで大島さんの著書『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』を文京区の図書館から借りた。ここ五年ばかりは、好きなものだけ読もうとすると小説ばかり手にとってしまうので、このラジオ番組の気になったゲストの著書を読むように心がけているのだ。
 旅券発行の第一号となった芸人だけでなく、当時、続々とサーカス芸人たちはロシアに行ったようだ。そのかず数十人。ほとんどは来日したロシアのサーカス団からスカウトされたらしい。当時のロシアサーカス団にとって、日本の芸人たちの技術は自国に勝るとも劣らないレベルだったのだ。そして思惑どおり、日本の芸はロシアで喝采を浴びる。
 大島さんは海を渡ったサーカス芸人たちのその後の消息などを突き止めていく。それは決して幸福な芸人生活ではなかった。何年にも及ぶ遠征のなかで、日露戦争やロシア革命という歴史上の大事件に直面し、あるものはスパイと見なされ、無実の罪で粛清される。つまり、この本はサーカス芸人を追うという形をとりつつ、近代史の一コマを浮き彫りにしているのだ。
 で、それはともかく、本当に書きたかったのはここからである。

 本の終盤、シマダグループによる『究極のバランス』というロシアサーカス史に燦然と輝く芸が紹介されている。掲載されている写真は、素人のぼくが見ても合成写真じゃないかと疑いたくなるような至芸。大島さんも『奇跡の芸』と書いている。映像が残っていないかずいぶん探したそうだが発見には至らなかった。この時代、動画が残っているかどうかは実に微妙な時代である。発見できなくても仕方がないところだ。
 しかし大島さんの知り合いがついに見つけ、ビデオに落としてくれる。
『こんなことができるのはまさに狂気の沙汰としか思えない、すごいというレベルを超えた、まさに神技といっていい芸であった』
 これがそのビデオを見た大島さんの感想である。
 興奮に包まれながらその件を読んでいたぼくは、ふと「もしかして、You Tubeにアップされているかも」と思いつく。
 さっそく検索するとあっさり見つかる。ネットの実力に腰を抜かしそうになりながら、ぼくもその映像を堪能した。たしかに、現代では考えられない芸である。
 こんな歴史的価値のある映像はたくさんの人に見ていただきたいし、この世から消えてはいけない映像だと思う。
 なのでここで紹介する次第。皆様、心してご覧あれ(『究極のバランス』は六分三十秒ぐらいからです)。

 

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