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2014年03月10日00:07

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889 国鉄職用車 3

本日は鉄の中の鉄、マニアしか興味が持てない古い貨車の話です。写真1はワム3500形ワム13490、1966/5/28国鉄吹田第一機関区。
このワム13490は老朽化してきたので、国鉄吹田工場と鷹取工場の間の物資受け渡しに使われていたものと思われます。
沢山書き込まれている表記には「大」=大阪鉄道管理局、鷹取駅常備、薄くなっていましたが鷹取工場とあり、職用車(配給車代用?)として白い帯が巻いて有りました。撮影時点で車籍が残っていて本線走行可能だったのか、それとも移動式の物置きだったのかは不明です。

写真2はヤ400形ヤ411、1969/3/25国鉄桜島線安治川口駅ヤード。
1968年にワム60000形からヤ400形ヤ400〜ヤ416の17両が改造され、信号機器輸送専用職用車となりました。信号設備の維持補修に用いる機器や消耗品類を輸送する配給車でした。1975年に羽越線事故で失われたヤ403に代車として1976年にヤ416が追加で改造されました。改造内容は荷役用手動ホイストや黒板、棚、書状箱の新設等で、荷重はたったの5tでした。
ヤ400形は17輌の内、写真2のヤ411の1輌だけは以後期形車(所謂額縁無し)で、それ以外は前期形(所謂額縁付ワム60000〜ワム61299)から選ばれています。前期形車体持つヤ410は、写真の後方2輌目に写っています。こちらの方の写真も撮っておくべきでした。

写真3はヤ1形ロヤ4、1970/6/5国鉄東海道本線西宮駅ヤード。
1948〜1953年にワム23000形から4輌改造された試験車で、当初は2軸客車ヤ400形として竣工しました。
1953年の車輛称号規定改正で貨車ヤ1形ヤ1〜4となりました。
ヤ1形は4輌共鉄道技術研究所に所属し、ヤ1はブレーキ試験車、ヤ2は車両運動試験車、ヤ3は軌道試験車、ヤ4は構造物試験車でした。後に各種の試験車が作られるようになると試験機器や部品等の運送に使われるようになりました。
1969年に2段リンク式に改造。しかしヤ4は写真で見られるように65km制限のロ車となっていました。
1986年までに全車廃車。
車体の基本構造はワム23000のままですが、自重10tの表記だけで荷重の表記は消されていました。換算両数は積空共に1.0でした。
その他に車体には「鉄道技術研究所」「国立駅常備」「連結注意」「西」=東京西鉄道管理局の表記が書きこまれ、職用車を示す白帯と65km速度制限を示す黄色の帯が巻かれていました。

追加の写真と記事は http://satoyama.in/auto/sharyo/auto924.html をご覧下さい。
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