《その後》
思い返して、よかったなと思うのは、村上作品のリズムとメロディは誰かから教わったものではなく、自らが感じ取れたという点である。教わるのも悪くないが、できれば宝物は自分で見つけたいものだ。それができたのは、たぶん、「難解な作品を読み解いてやろう」などという野心がなく、完全にニュートラルな気持で読めたためだろう。
ただ、次々に村上作品を読んでいて、ずっと気になることがあった。
ぼくは文章そのものが持っているリズムとメロディに惹かれて読んでいるが、果たしてそんな読み方が正しいのだろうかという疑問だった。
村上作品は難解なので解説本や攻略本が多数出ている。それまでぼくはそれらを一冊も読んでこなかったが、村上作品を英訳しているジェイ・ルービンという人が書いた村上春樹論だけには興味を持った。外国人が書いたものなら客観性が保たれているだろうと考えたのだ。それでこの人の『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』を図書館から借りた。
プロローグにこういう趣旨のことが書かれていた。
「村上春樹は音楽が大好きだ。ミュージシャンにならなかったのが不思議なぐらいだ。じっさい彼はジャズ喫茶を経営していたこともある。彼の文章でもっとも重要なポイントは、おそらくリズムだ」
ドキンと胸が高鳴った。もしかしたらぼくの読み方は間違っていないのかもしれないと思った。
さらに『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』という著書において、村上春樹自身が翻訳家を目指す学生に向かって、こういう趣旨のことを言っている文章に当たった。
「どんな文章でも、一番大事なのはリズムだと思う」
ぼくは自分の読み方に自信を持った。
そして今、自分が小説を書く上でもっとも参考にしているのは村上作品である。ただしそれは物語の展開のさせ方とか構成とか、そういうテクニックを指しているのではない。書くときの心構えとかモチベーションのようなものだ。小説でもエッセイでも、読んでいて、
「そうか、物語を書くというのはそういう心構えで挑むものなのか」
と参考になるのだ。
もちろん、それが分ったからといってすぐに自分も書けるようになるわけではない。どう逆立ちしたって、一生かかったって村上春樹ほどクリアで深い作品は書けないだろう。しかし、ただ闇雲に書くよりは進歩するのではないかと、自分に期待している。
《エピローグ》
ここまで読んでいただけた方ならお分りだろうが、ぼくは難解な村上作品を読み解いてはいない。何度も書いてきたように、リズムとメロディに浸ってきただけだ。
だから村上作品のどこがいいのかとか、この作品のここのところはどういう意味だなどと問われてもまったく説明できない。
それは人によって好きな音楽が違うのと似ているのかもしれない。ぼくはたまたまハルキミュージックの虜になったが、クラシック音楽が苦手な人がいるように、村上春樹の文体が肌に合わない人もいるだろう(むろん、それでまったく問題はない)。ロックの良さが言葉では説明できないように、村上作品の良さも言葉では説明できない。合うか合わないか、好きか嫌いかの個人的な問題なのだ。ぼくはそう思う。
「そうは言っても、小説なんだからちゃんと分るように書かれていないと困る」
とあくまでも論理性を求める方もおられるだろう。そういう方は、残念ながらハルキストにはなれないと思う(もちろんそれでまったく問題はない)。
そういうわけで、ぼくは村上作品を人に勧めることはない。どこかで偶然ファンと出会ったときに少し話すだけにとどめている。
ぼくにはそれで充分だ。
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