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2011年05月05日21:27

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改版−濫読『人間の土地』(03)

「精神」の風が、粘土の上に吹いてこそ、初めて「人間」は創られる。

サン=テグジュペリ『人間の土地』(新潮文庫版)より最後の一文。

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【注】
最初に断っておきますが、今日の日記"も"、実に瑣末な問題についてグタグダと書いていますので、読む方は、そのおつもりで(笑)。

僕の家には、サン=テグジュペリの『人間の土地』が5冊ある。

いずれも堀口大學訳の新潮文庫版だ。

そのうち3冊は、装丁が新しくなったり改版されたりしたので買ったもので、他の2冊は、古本屋で買ったものだ。そのうち1冊は、新潮文庫の古い版のものだ。
というわけで、僕の手元には、同じ「堀口大學訳・新潮文庫版」ではあるけれど、以下のような3つの異なる「版」の『人間の土地』がある。

【A版】1955年版
「昭和三十年」の第一刷から改版されていないもの。僕は古本屋で1969年の第17刷を買った。

【B版】1972年版
「昭和四十七年・二十二刷改刷」以降の版。大学に入学した1984年に第39刷を新品で買った。

【C版】2008年版
「平成十年・六十一刷改版」以降のもの。カバーが宮崎駿の絵となり、彼のエッセイ「空のいけにえ」が付く。僕は2010年に第80刷を買った。

僕が長く親しんだB版には、「目次」がない。この本は8つの章から構成されているが、そのことは中を見てみないと分からない。これはちょっと不便なので、扉ページの裏に、僕は自分で目次を手書きしていた。

C版には「目次」がある。やっぱり不便だとということになったのだろうか。

と思っていたのだが、後にA版を古本屋で見つけたときに意外なことに気が付いた。
なんと、古いA版には「目次」があったのだ。
つまり、もともとあった目次を、B版では省いてしまったというわけだ。
これは、どうしたことだろうか?
1972年といえば「第1次石油ショック」の前年だが、誰かが「節約」のために無くしてしまったのだろうか?

A版は漢字も旧漢字が使用されており、またルビや傍点も無い。普通、傍点で強調される部分などは、「  」でくくられている。
B版では、漢字が新字体となり、「  」の一部は傍点に変えられ、ルビ(よみがな)も多用されている。

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最近では、文庫本の改版といえば、だいたいが「大文字化」のためのようだ。
あとは、ルビが増えたり、漢字を平仮名に直したり、その逆があったりする。

B版からC版への大きな変化のひとつは、やはり「大文字化」だった。内容に変化が無い(と思われる)本文だけでも30ページほど増えて、その分だけ文字が大きくなっている。
「訳者あとがき」はA版(タイトルは「あとがき」)とB版(タイトルは「解説」)にもあったが、C版には、そのうえに宮崎駿によるエッセイとイラスト地図があり、そして「年譜」が付されている。かなりのサービスだ。

ちょっと気になって、冒頭に引用した「最後の言葉」を比較してみたら、やはり「精神」と「人間」に対する強調が、A版の「カギ括弧」から、B版とC版では「傍点」に変わっていた。また、B版とC版では「創られる」という字に「つく(られる)」というルビが振られていた。

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しかし、驚いたのは、その「最後の言葉」の直前の文章だ。
ここで、各版から出来るだけ忠実に引用する。

【A版】1955年版
「僕がいま惱んでいるのは、施米も癒すことのできない或る何ものかだ。僕を惱ますものは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中に在る虐殺されたモツアルトだ。」

【B版】1972年版
「ぼくがいま悩んでいるのは、施米も治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますものは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ。」

【C版】2008年版
「ぼくがいま悩んでいるのは、スープを施しても治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますものは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ。」

原文どおりでない部分が2点ほどある。
A版の「癒」という文字の中の「刂」は、原文では「《」である。
それと、C版では「虐殺」という漢字に「ぎゃくさつ」というルビが振られている。AとBの版には、このルビは無い。

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まず第一に、A版では「施米も癒すことのできない」という部分が、B版では「施米も治すことのできない」となっている。「いやす」と「なおす」では、随分とニュアンスが違う。
それに続く「ある何ものか」が、「癒す」であれば(精神的なものも含めた)「痛み」や「苦しみ」のようなものとなるであろうし、「治す」であれば「病い」のようなものをイメージさせるだろう。

しかし、もっと驚くのは、C版では、その部分が「スープを施しても治すことができない」となっていることだ。「米」と「スープ」では、随分と違う(笑)

第二の変更点である「モツアルト」と「モーツァルト」については、現代の標準的な表記に合わせたということで理解も出来るが、「米」から「スープ」というのはどういうことだろうか。

堀口大學は、1981年(昭和56年)3月15日に亡くなっている。
A版からB版における変更点は、大學自身の諒解を得たものかも知れない。
しかし、B版からC版における変更点が、訳者自身の諒解の下に行われたものかどうかはわからない。(このような場合、著作権の相続人などの諒解を得るようだが。)

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古語辞典などで調べてみると、「施米(せまい)」という言葉には、それなりの由来があるようだ。
「平安時代、毎年6月に朝廷から京都周辺の寺の貧しい僧に米・塩を施した」という年中行事があり、それが語源となって広く「困窮者や托鉢僧などに米を施すこと。また、その米」を意味するようになったとのことだ。「夏の季語」でもあるようだ。

フランス語の原文を見てみたが、もちろん「米」などとは書かれていない(笑)
「soupes」(スープ)と書かれている。
しかし、「スープを施す」という言葉を「施米」と訳した堀口大學の感覚は、なかなか素晴らしいと思う。ここは、あえて原文に忠実ではなくとも、「施米も癒すことのできない」という訳を残した方が、堀口大學訳らしかったのではないかという気もする。

もちろん、「それでは若い読者にはとっつきにくい」という反論もあるだろうが。

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ところで、堀口大學訳の『人間の土地』というのは、何時ごろからあったのだろうか。
僕は、1951年に三笠書房から出された堀口訳『人間の土地』を県立図書館で見たことがあるが、それ以前のものがあるだろうか。『戦ふ操縦士』が敗戦直後の1945年12月に出たと聞いたことがあるから、なんとなく戦前の版がありそうな気がする。

と思って調べてみたら、僕と同じような疑問を持った人がいるらしい。

■サンテグジュペリの著書は戦前日本で翻訳出版されていたのでしょうか?
http://okwave.jp/qa/q5832438.html

ここの回答によれば、
「人間の土地 / サン=テクジュペリ[他]. 堀口大学訳
-- 東京 第一書房, 昭14, 316p ; 20cm
*のちに「空の開拓者」と改題し出版」

となっている。真珠湾攻撃よりも前の1939年に、既に翻訳されていたようだ。
残念ながら、この第一書房版も『空の開拓者』も、近くの図書館には無いようだ。

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最後に、みすず書房から出ている山崎庸一郎による訳を引用しておく。多分、これが原文に忠実な訳なのだと思う。

「わたしを苦しめるものは、施しのスープによってもけっして癒されることはない。わたしを苦しめるものは、あの窪みでも、あの出っぱりでもない。それは、いわば、あの人びとひとりひとりのなかの虐殺されたモーツァルトなのだ。

 精神の風が粘土のうえを吹きわたるとき、はじめて人間は創造されるのだ。」

『人間の大地』サンテグジュペリ・コレクション3(みすず書房・2000年)より


※ これだから、古本屋での「旧版あさり」はやめられないのです(笑)

<濫読『人間の土地』>
01-土壌
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1692948285&owner_id=2312860
02-種子の比喩
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1693520096&owner_id=2312860

<サンテグジュペリと『星の王子さま』に関する日記の目次>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=233093359&owner_id=2312860

<堀口大學関連のコミュニティ>
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