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2011年03月21日21:29

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種子−濫読『人間の土地』(02)

「この兵隊たちは、たぶん生きてはふたたび帰るまい、だが、彼らは遠慮して黙っている。この突撃は、正規の命令だ。兵隊の中からひと摑(つか)みが選ばれる。穀倉の中から、ひと摑みが選ばれる。播種のために、ひと摑みの穀物が散る。」(p.205)

「きみの心に、この出発を促す種を蒔(ま)いたかもしれない政治家たちの大言壮語が、はたして真摯であったか否か、また正当であったか否か、ぼくは知ろうとは思わない。種が芽を出すように、それらの言葉がきみの中に根を張ったとしたら、それらの言葉が、きみの必要と一致したからだ。それを判断するのはきみ一人だ。麦を見わける術を知っているのは、土地なのだから。」(p.215)

堀口大學訳『人間の土地』(新潮文庫)より

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サン=テグジュペリの物語では、農業関係の比喩が多用されている。
「飛行機」は「農夫の鋤(スキ)」に喩えられ、「空を耕す道具」として表現される。
彼の物語には、多くの農夫が出てくるが、大概は肯定的に描かれている。反対に、役人や小市民のことは、否定的に描かれることが多い。

「種」(種子)というのも、よく出てくる表現だ。

祖国フランスがドイツに占領されていた1942年に出版された『戦う操縦士』は、

「明日、傍観者たちにとって、僕等は敗北者であろう。敗北者は黙るべきだ。種子のようにね。」

という印象的な言葉で終わっている。同書の中にも、「種子」の比喩を用いた考察がいくつかある。

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1936年と1937年の二度にわたって、サン=テグジュペリは雑誌用の記事を書くために内戦中のスペインに入る。そして、アナーキストの陣営で取材を行う。冒頭に引用したのは、その際の経験を基にした一節だ。同じマドリッド戦線における経験を描いたルポルタージュは、彼の著作集に収められている。

本部から下された「絶望的」な攻撃命令を遂行するため、先頭に選ばれたのは一人の軍曹だった。内戦が始まるの前には、貧しい出納係であった男。政治には無関心であった男。ところが、志願した同僚の一人の戦死の報を聞いて、彼自身にも説明の出来ない力に導かれて、彼は戦線へと赴くことになった。

突撃の前に、最後の眠りに入る軍曹。時刻が来て、起こされた軍曹は、「時間かい」と言ってニッコリと笑って起きる。サン=テグジュペリは記す。

「人間の姿が、現われるのはここだ。人間が、論理の予想からはみ出すのはここだ。」
(同書p.209より)


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『人間の土地』が出版されたのは1939年。
この本は好評を博し、アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞する。アメリカで出版された英訳版もベストセラーとなる。

しかし、この「種子」の喩えについて言うならば、1942年の『戦う操縦士』に現れた思索に比べると、まだ生煮えの感じがする。1939年から1942年の3年間の間に、彼の思索はどのように深まっていったのか。そのことは、彼の若き晩年の思想の中で重要なポイントのひとつであろう。

<濫読『人間の土地』>
01-土壌
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<サンテグジュペリと『星の王子さま』に関する日記の目次>
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