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2010年06月15日00:27

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永遠の0

百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』(講談社文庫)

戦争にかかわる小説というものは、原則として読まないこととしている。
知るべき事実、読むべきノンフィクション(事実)があるというのに、わざわざ「虚構(フィクション)」を読むために時間を費やすのは、馬鹿げたことだと思っているからだ。

しかし、この本は知人が薦めていたので読んだ。
土曜日にブックオフで買って、まぁ、『武器よさらば』の次にでも読もうかと思っていた。しかし、ちょっとだけ気になったので、夕方に少しだけ読んでみた。それから翌日の午前3時まで、晩飯をはさんで、ほとんど一気に読んでしまった(笑)。

「ページから目が離せない」という経験を久しぶりにした。

内容は、一人の零戦パイロットが「特攻」に出撃するに至る過程を、60年後、そのパイロットの孫たちが辿るというものだった。孫たちは、存命する関係者(祖父の戦友)を訪ね歩くのだが、人ごとに語る祖父のイメージが異なることに驚く。そして、祖父の戦歴を辿ることによって、真珠湾から特攻に至る「あの戦争」のディティールを知ることになる。

いくつかの細かい点を除けば、この物語は、粗筋から細部に至るまで、僕にとって納得のいくものであった。どうしてだろうかと考えていて、巻末の「参考文献」のページを見て気が付いたことがあった。僕よりも8歳ほど年長の著者が「参考」とした文献の大半を僕も読んでいたのだ。つまり、僕が『永遠の0』を読む前から、著者と僕の間には「事実」についての「共通認識」が出来上がっていたのである。

坂井三郎の『大空のサムライ』、柳田邦夫の『零戦燃ゆ』など、あの戦争におけるパイロットたちについて描かれた優れた記録を利用することによって、この小説の背骨が確かなものとなっている。

また、著者の視座にも共感が持てた。

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話の趣を少し変える。

65年前、日本には、数十Km先の軍艦にミサイルを誘導する技術すらなかった。
そのために、二十歳前後の速成パイロットをロケット・ミサイルに乗せ、パイロットもろとも体当たりさせるという手法(特攻)を考案し、そのためだけの飛行機(櫻花)まで開発し、組織的に実行した。

21世紀のはじめとなって、日本は、無人の機体を惑星軌道に乗せ、小惑星に着陸させ、往復で7年間・60億Kmの行程を進み、目指した地点(砂漠)にまで帰ってこさせる技術を確立させた。

このようなことを書くと、比較にならないことを比較していると思われるかも知れない。
しかし、65年前に海軍で「特攻」のための兵器を設計・製造した人間と、今日、「はやぶさ」の快挙を支えた人間とは、ある意味では「同種」の人間であると思う。つまり、我が国の(多くは一流の)大学工学部を出た秀才たちである。

「櫻花」を造ることになるか「はやぶさ」を造ることになるかは、個人の選択の問題であるというよりも(もちろん、その要素が全くないわけではないが)、むしろ、その時々の国家の置かれている政治的・軍事的な状況に依存する。

政治的な状況は民意に依存するが、軍事的な状況には民意だけではいかんともし難い部分もある。たとえ一国の総理大臣の立場にある者が願ったとしても、基地の場所ひとつを動かすことが出来ないのが、軍事的状況のリアリティ(現実)というものかも知れない。

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空を飛びたいと願うことと、敵を殺すということが無縁であるような時代に生まれることが出来たことに感謝したいと思う。

我が国の戦後の科学技術が、他国に対する軍事的な脅威というものと(ほぼ)無縁な形で発展したということは、我々が思っている以上の「奇跡」であり、また素晴らしいことであると思う。
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