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2009年04月02日21:58

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仲間と死ぬこと−「ブラッカムの爆撃機」より

親父(タウンゼント大尉)は大佐からひとつの条件を取りつけた。自分は進んでブラッカムのウィンピーに乗るが、ほかの隊員にはそれを強要しないという条件だ。乗るかどうかはおれたちの意志にまかせてくれたわけだ。そして基地の中から寄せ集めの隊員を募ったんだが、志願するやつなんかいるわけがない。それこそひとりもいなかった。当然といえば、当然だ。
親父は、ひとりでいくと宣言した。
すると、マットがいっしょにいくといいだした。それからいかれポールが、いつか死ぬんだ、どうせ死ぬなら親父といっしょがいいといいだした。最後には、このおれまでがいくといいだすしまつだ。だってそうだろ。仲間が死んじまったあと、新しい隊員に混じって一から出直すなんて冗談じゃない。結局、人間ってのは臆病な動物だ。な?
それはおれたちの23回目の出撃だった。

『ブラッカムの爆撃機』(岩波書店)p.75より

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「人間てのは臆病な動物だ」

という言葉は、ちょっとした皮肉だ。

「みんなと一緒に死ぬこと」と
「一人だけ生き残ること」と
「臆病な動物」は、どちらを選ぶだろうか。

主人公ゲアリーは、「みんなと一緒に死ぬこと」の方を選んだ。「一人だけ生き残る」勇気なんてなかった。

これは、もちろん一般論なんかじゃない。
たとえば、今の日本で暮らす平均的な市民であれば、「死ぬ」ことよりは「生きる」ことを選ぶだろう。
それが、普通のことだとは思う。

ゲアリーはなぜ、「生き残る」ことよりも「一緒に死ぬ」ことの方を選んだのか、その理由を説明することは、それほど難しいことではないと思う。
しかし、その心情に対して、理窟としてではなくて、心の奥底の方で共感することができるかと言えば、なかなか難しいかも知れない。

「今の自分」と「死」の間の距離、親密さ。
「今の自分」の中に占める、「仲間たち」の密度と深み。

「どうせ死ぬなら親父といっしょがいい」
なぜなら、
「結局、人間ってのは臆病な動物だ」から。

これは、果たして、子供や若者向けの本だろうか?

いや、「死」や「仲間」について言うならば、
老いも若きも、
関係ないのだろうとは思うけれど……。

理性は、情念の奴隸に過ぎない。

<ブラッカムの爆撃機>
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