なぜ警察は介入しないのか。フジ中居騒動で、たくさんの人は憤慨しているのだろうと思う。ジャニーズの時もそうだった。
「こんなことで世の中の正義が守れるか」
「警察なにやってんだ」
(ひと昔前なら)「税金ドロボーッ」
言葉にすれば、この通りなんだろう。
しかし、何も動かない。桜田通りの路面には、嫌な目つきのカラスが行ったり来たり動くだけ。なにも変わらない。
○
この動かない警察現象は日本人の「秩序意識」に基づいています。
日本人は「秩序」という言葉に正義を感じます。
「秩序」とは、なにもなく治(おさま)っている状態ですね。
「いろいろあるがこうして治(おさま)っているのは、時間と世間の声が均(なら)したきちんとした結果なんだよ」
と思っています。ここでは「秩序」と「正義」がかなり近しいことに気がつきます。
「こうやってなあ、治(おさま)っているのは、お天道様のおかげだ」
などという落語の常套句もこの辺りから出てきます。
○
例になるかどうか。明治以来、日本人がいちばん嫌った言葉は「革命」です。変わらない第一位でした。戦後、学生がドタン、バタンして変えましたが、それでも僅差になっただけほぼ一位のはずです。
えーと、わかりますよね、「秩序」の反対は「革命」です。
○
警察を「植木屋」だと思ってください。
世の中は少しづつ変わる。伸びすぎてハミ出してくるものがある。そいつをパチ、パチ、パチンと切る役目が自分たちだと、警察官僚は思っているはず。
「盆栽師」になってはいけないと、これはきっちり思っています。世の中を鋳型に入れて好きな形にハメようとしてはいけないのです。
社会のあり方(カタチ)を決めるのは大衆で、社会の鋳型を持って飛び跳ねる警察ではありません。(戦前の特高警察への反省であり)主権在民の法理に沿ったもので、その上、日本人の「秩序意識」に沿ったものと警察は考えているはずです。
これが、警察が介入しないバックボーンです。
○
前説が長すぎますね。どうしたら警察は介入するのか。
明らかな犯罪が行われたか。まず、これが一番ですが、
「風評はあるが、証拠はない」
が大きく分けて言えるサツの現状なのでしょう。
もし、被害者からの刑事告発があればこれは文句なし。告発は、ほぼ証拠と一体になっているものとさえ考えられます。
次に、共犯者としてのAの位置です。
上納文化とか風土を裁くのはむづかしい。となると、文化とか風土という部分からAをハガレさせることができるか。赤レンガ倉庫のレンガがハガレるようにボロンとAが転がり落ちるのを待つ、という方法。フジとAとの(見えない責任の取り方の)腹づもりが定まれば、時が経てばボロンと転げ落ちるでしょう。そこでスコップでヒョイと拾い上げます。
「あなたアウトです」
と宣告します。
○
「えーっ、フジに刑罰はないの」
そういう声があって当然です。前もって言っておきますと刑事罰に当たるものが少しでもあれば、フジはなくなります。よくても「フジ・メグミルク」状態、新社の誕生です。役職者の刑事罰でも該当します。
コンプラ違反、人権侵害の範囲内(つまり規範の範囲内)ならなんとか徳俵に踏みとどまるかもしれません。
(いま、そこのところです)。
もしフジの風土がすべての元凶で、それを裁くというのなら素晴らしい選択で、だがそれができるか。ナチスの裁判に匹敵する歴史的裁判になるが、可能だろうか。民事でもいいから、やって欲しいと思うのだが日本人の「秩序意識」が許さない気がします。
どう許さないのか。はい。お天道様が許さないのです。
(はじめに戻ります。官民ともに秩序意識が、働いているのです)。
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