ぼくは甘いか。
ーサッちゃんの記者会見の深読みー
サッちゃんの記者会見を見て、
「あーあ、いかんな」とすぐに思うし、(だってメチャメチャだもんね)。
「こりゃ、また小言を言わなければ」
と思う、思うけどその自分が嫌になります。げんなりです。
毎日、悪口(というばかりではないのだけど)を言っている人物の人間性(自分のことですが)に、嫌気が差してくるんですね。ごく普通の日本人らしい気持ちなんでしょう。ぼくと同じような気分の人、日本中にたくさんいるんだろうな。
しかし、記者会見を反芻していると
「これは、とんでもないことだ」
ということがどうしても出てくる。
「う、う、うーん、オサムちゃーん、でぇーす」、
とジレていても仕方ないので
「お前、甘いぞ」
と自分で自分を叱咤し、書くのです。
○
記者会見は、ぜんぶで38分ないし39分の長いものでした。とは言え、ほとんどは総花的な自分ホメが9割(まあ、そう言うものでしょう)なので、スルーで十分。大きなポイントは、二つしかありません。
�,錣燭靴鮨�任してもらう選挙です。
(信任していただいたら)
��国論を左右する大きな取り組みもやっていきたいと思います。
この二つは、ほぼ連続して発言しています。しかもこの流れの時だけ、(ぼくには)なにか本心を隠しながら話す感触が見え少し嫌な気配を感じました。
○
�,錣燭靴鮨�任してもらう選挙です、について。
はっきり言います。
この論法は、行き過ぎると独裁者の論法に近づきます。
民主主義社会の中で、主権者は国民で、たとえ総理とはいえ奉仕者。様々な政治活動の中で、結果、信任を得ていくのが望ましい姿ですよね。
まださほどのことを実行していない新任3ヵ月の総理の発言としては、かなり不自然なものに見えてくるのですが、いかがでしょうか。
と、突っ込めば、信任を「お願いしている」と言い換えてくるでしょう。でも、それもほぼ同じ。信任を奉仕より優先させるのは誤りです。
「働いて、働いて、働いて」の論理を主張されるとしても、結果を待たずに信任を求めれば、つまり行き過ぎです。
奉仕者としての総理より、統治者としての総理を強く望んでいるように見えてしまうのですが、大丈夫でしょうか。
○
��国論を左右する大きな取り組みもやっていきたいと思います。
これは、ツライ。
「国論を左右する大きな取り組み」をやっていく、そのための解散なら内容を明らかにしなければならないでしょう。明らかにしないで進めれれば、「国民ダマシ」の可能性さえありますね。
解散までの経緯を考えれば、かなり際どいものが即座に並びます。(素直な印象ですよ)
対中強行外交、
集団安全保障の書き換え、
オフレコで観測気球をあげた核武装、までもが上がってきます。
このうちどれひとつでも不意にはじめれば、あまりに重大なことになります。
○
その上、�´△鯱�続して発言したことに、大きな意図、大きな脅威を感じます。
「信任を得たら、わたしはやるぞ」
と言うサッっちゃんらしい声がすぐに続いているのでしょう。
だからさ、そうなったら、
「すぐにでもはじめそう」
という印象を持っています。
「働いて、働いて、働いて」のかけ声がこんなところで突如、聞こえてきたらたまったものではありません。
TV番組で若い政治解説者は、「国論を左右する仕事とは」と聞かれ、
急騰する物価問題
消費税0%の財源
議員定数の削減、と答えていた。
ぼくは、あまりの近視眼ぶりに半ば呆れたのだが、なにか忖度が働いていたのだろうか。宙ぶらりんになっている中国発言に一定の方向をつけることこそ「国論を左右する仕事」だと、ぼくは思うよ。
それに、この解散(のいちばんの目的)は、中国にアヤマらないで進むために、サッちゃんが自分の強力な支えを作っておくためだった、とぼくは感じている。
「安倍さんのためにもアヤマるわけにはいかない」
というのがサッちゃんの意志なのだろう。そう思うよ。
コジルリだなあ、まちがいだなあ、コジレルなあ。
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