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2024年04月25日02:42

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流星のひと。45 ひとりぼっちの5年間。

 藤圭子は、ひとりになった。どうして、なぜ。それはそう自分で決めたからだ。
「もういいよ、あたしを放って置いて」

 家を出て、この日から5年間ほど消息不明になる。藤圭子はこの時、一般人だったということもあるのかもしれないし、宇多田氏の情報操作の影響も大きいのだろう。変な言い方だが、誰にも知られず消息不明になる。
 実際のところ、ひとりになると詩を忘れそうになってステージに立ちつくした時のあの恐怖感がよみがえってくるらしい。でも、立って、立ち上がっていかなければならないんだ、と言い聞かせて出て行ったのだ。

 はじめの2年間ほどハワイでカラオケのインストラクターをしていたという噂がある。どうやらホントらしいのだが、それも人の目に止まるようになると、いつの間にか消えている。
「ヒカルのためにならないことはしてはいけない」
宇多田氏との話し合いによるものなのか、自分でしっかり心に決めたことなのか。きっと両方なんだろうね。居場所を追うことなどまったくできない漂流状態になっている。

 この極端な消息不明は、宇多田氏と東芝EMI側が藤圭子に、ヒカルの楽曲づくりを進めるため
「しばらく(たぶん3年程度)ヒカルさんに会わないようにできないか」
と申し入れをしたことから生まれた、とされている。
「ヒカルさんは周囲に母と会うことを禁じられ、3年は会っていなかったようですよ」
とのスポニチ藤圭子番デスクからの話しがその話の確かさを支えてくれる。
 3年程度とすると、様々な動きとも辻褄があってくる。

 もし事実なら、この時の東芝EMIの行動には流石に眉を潜めざるをえない。

 お金(売り上げ)のためなら家族別れを策すのか。企業にそんなことが許されるのか。そう言われたらほぼなんの反論もできないことになる。あきれるほどの見識の低さが、底知れない後味の悪さ生むことになる。それでいいのか。
「楽曲づくりの好ましい環境を作りたかっただけです」
という言葉が用意されているのだろうが、親と子の倫理にまで踏み込みすぎた行為は歌謡史に残る悪行になってしまうだろう。

 宇多田氏の得意の「仕掛け」であるなら、それはそれで承知できるところで
「いつものことさ」
となっていくのだろうが、答えを探る方法さえもはやない。

 それにしてもこの一連の騒動の中に東芝EMIを置くことで、ひとつの論が立つことになる。
 単なる宇多田氏ひとりの意思だけではない、東芝EMIという世間が宇多田氏と肩を組むことでもっともらしい論が形成される。その種を明かせば、それはヒカルのためにならない藤圭子を抑制するという「イカサマな正義」のことなのだ。
 この二者が奇妙に声を合わせた「イカサマな正義」は、世間の狭い藤圭子の身をキリリと縛る。キツく縛る。弱みを抑え、思ったことさえ言えなくなってしまうのだ。
「ヒカルのためにならないことはしてはいけない」
と小声で反芻する藤圭子がかすかな自由を得るには、消息不明するしか方法はなくなっていた。

 歌うことはできない、ヒカルの母としての発言もできないし、ヒカルの指導者であることはとうに奪われている。この八方塞がりから生まれた藤圭子の漂流は5年ほどで突然終わる。終わらせたのは驚きのニュースだった。
「藤圭子、JFK空港で5,000万円押収される」
 空港で麻薬犬に不審な匂いを指摘され、バックにぎっしり詰め込まれた「5,000万円を押収」されることになる。当初は「金に狂った」とか「鬼母」というタイトルが踊ったのだが、報道の中で圭子の歌がワンコーラス、時にはサビのみのハーフが流れるだけで一気に潮目は変わって行った。
 視聴者は、漂流する藤圭子のもしかすると悲しい運命を(映像の歌から)一瞬で読み取ったのだろう。不思議に非難はピタリとおさまった。多くの人は(藤圭子を責めるより、藤圭子に起きている運命を知りたいと思ったのだろう)もっと言えば同情したかったというのが本当ところだ。
 テレビの報道画面から流れる藤圭子の20年前の歌う姿は、その時見てもかけねのない迫真の映像だった。

 この5年の中で、いくつもの事件が起きている。そのほとんどはバッサリ話せばクダラナイことの続きでしかない。
 宇多田氏のAV嬢疑惑、亡くなった梨本氏が藤圭子を助けてくれる。
 ヒカルは独立し結婚をする。事務所の運営を整理しようと思った紀里谷氏から「事務所から抜けてくれ」進言される。

 ヒカルに口出しをしないことを条件に「解決金」が支払われる。(世間的には、はっきりと「手切金」と書かれていることが多い)。額は2億円超とされていて、想像通り漂流の費用はここから捻出されていた。

 5年の中のことをどう並べ立ててもつまらない事象なのだが、ひとつだけ揺るがせにできないものがある。
「藤圭子は、ヒカルのためにならない」という「イカサマな正義」の押し付けだ。
 宇多田氏と東芝EMIからはじまったされるヒカルを守る作業、その中心となる考えなのだがこれほどイカサマな論理はない。たとえば、藤圭子が歌うことがどうして良くないことなのか。
「ヒカルの歌に古いイメージがつく」
 藤圭子とヒカルが歌手を続けたとしよう。二人は互いに影響を与えるだろう。それをお互い良い方向で動かすのがプロデュースではないだろうか。プロデュースとは、なんにつけ「生かす道」なのだ。
 片方を破壊する。これになんの正義があるのか。あるとすれば不幸を願う悪意か、小利口な計算でしかないだろう。破壊される側には、あからさまな暴力でしかないだろう。

 いかにももっともらしい戦略は、一皮剥けばいかがわしいダマシでできている。

 繰り返しになる。
「藤圭子は、ヒカルのためにならない」という論理は、宇多田氏と東芝EMIが作ったものなのか、宇多田氏が東芝EMIを利用しながら作り出したものなのか、知りたいと思う。東芝EMI側で内情を明かすものがでて欲しいのだがいまだにいない。

 藤圭子の大きさを考えれば、明らかにすることが歌謡界への責任のような気がしてならない。いまも思う。藤圭子を歌わせればほぼ全ての問題は解決しただろう。なぜ、そうならなかったのか。「イカサマな正義」がまるで正論のようにまわりを押し倒し、闊歩していたはずだ。人は、平然と間違いを犯す生き物なのだろう。ヒカル以外に、大きな悔恨を抱える人はいないのだろうか。

 最初に隣り合わせたスタジオで
「日本語で歌ってみたら」
と藤の一家に声をかけたのは東芝EMIの三宅彰氏で、デビューからはじまる戦略も宇多田氏と共に練ってきた。2017年ヒカルがソニーミュージックに移籍すると氏は独立し、いまもヒカルのプロデュースを続けている。
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