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2026年09月17日15:15

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サヨウナラ・ジャニーズ――詩と冒険と屈辱の世界

第一章:嵐という虚構の終幕

 嵐のラストライブ・ツアーが幕を開け、その終幕とともにグループは活動の歴史に区切りをつけるという。この最後のステージに15万人以上もの観客が殺到しているというニュースを目にしたとき、私の中に湧き上がったのは、ある種の深い暗憺(あんたん)たる思いだった。

「この世の終わり」――ブレンダ・リーの往年のヒット曲『The End of the World』の邦題が、これほど不気味に響く状況もない。まさにひとつの世界の終焉であり、そこには破滅的な終末感が漂っている。かつて知識人が日本の大衆社会の変容を憂いた言葉が、まさにこうした「仕掛けられた熱狂」に盲従する現代の風景を予見していたかのようにさえ思えてくるのだ。

 こうした指摘に対して、「エンターテインメントの何が悪いのか」という反論が聞こえてきそうだが、現在の彼らが置かれた構造には、看過できない歪みが幾重にも重なっている。創設者であるジャニー喜多川氏の性加害という重大な人権侵害に対し、主体的な発言を避けてきたこと。組織の看板や利権構造から完全に離脱することなく、その恩恵を享受し続けたこと。そして、ファンコミュニティ内で発生していた被害者への誹謗中傷に対し、毅然とした態度を示さなかったこと。

 これほどの矛盾を抱えながら、ステージの上で完璧な笑顔を振りまく彼らの姿は、客を陶酔させて金を搾り取る狡猾なホストのビジネスモデル、あるいは完璧に作り込まれた履歴で相手を盲信させる「壮大な結婚詐欺」のシステムを想起させる。さまざまな大義名分や複雑な人間関係が語られるが、物事はもっとシンプルに捉えるべきだ。過去、ジャニーズ事務所を辞めたからといって、巨額の損害賠償を迫られたタレントなど一人もいない。つまり、彼らには「辞められない法的な理由」など最初からなかったのだ。それにもかかわらず、なぜ彼らはあの場に留まり続けたのか。理由はただひとつ、「稼ぎ」のためである。

第二章:お母さん、なぜ息子を連れて行くのですか

 ジャニーズ事務所に入所する少年たちの多くは、お母さんに連れられてやってきます。すべての始まりは、お母さん自身の趣味や志向なのです。
 もし「もう飽きたわ」と、この機会にごく普通にお母さんたちが趣味を変えてくれれば、物事はとても簡単です。しかし、そうはならないでしょう。なぜなら、ファンたちの本音を覗いてみれば「この嵐(騒動)が通り過ぎれば、またあの美しい世界に戻れるはずだ」と、信じ込んでいるからです。だからこそ、私は彼女たちの態度を厳しく批判せざるを得ません。

 ジャニーズ問題の本質は、日本の母親たちに、我が子を「組織の生贄」に捧げるのをやめさせることにあります。耳が痛いかもしれませんが、華やかなステージの裏にある闇を知りながら、なおも子どもをそこに送り出す姿は、客観的に見ればたとえようもなく醜悪です。あなたが「美しい理想郷」だと思って盲信しているその空間は、一歩外から離れて見れば、実はただのゲテモノ(異形なシステム)なのです。

 世間には、今なお根強く「タレントに罪はない」とする擁護論がある。だが、この論理の欺瞞を私たちは見抜かなければならない。そもそも「タレントに罪はない」という免罪符が有効になるのは、彼らがその加害組織から籍を抜き、そこから生み出される巨大利権や特権を自ら投げ打って(=辞めて)初めて対象になる論理だ。

 しかし、彼らが取った行動はその真逆である。巨額の「稼ぎ」を維持するために組織に踏みとどまり、甘い汁を吸い続けながら、都合のいい時だけ「自分たちは無関係の表現者だ」という無垢な顔をしてみせる。利益という果実は一滴残らず貪り尽くし、組織の犯した大罪の泥水からは綺麗に身をかわそうとする。これほどずるく、小利口な話があるだろうか。

第三章:ジャニーズのだまし絵

 ここで必ず出てくるのが、「創設者の個人的な犯罪と、彼が生み出したショーの芸術的価値は別物だ」という、いかにも正論まがいの擁護論です。しかし、表現の本質として捉えるならば、それらは紛れもなく「一体」なのです。一人の人間の脳内から生み出されたものが、表現になった瞬間に突然、犯罪と芸術の二つに分離するわけがありません。それはただ一つの同じ根から生えた、見る方向によって違う姿を見せる「錯綜する性のマンダラ」のような表現なのです。

 この構造を、ごく簡単な絵にしてみましょう。私はこれを「ジャニーズのだまし絵」と呼びたいと思います。

 そこには、真っ白なカウボーイ姿をした美しい少年がいます。前から見ると、袖には長いフリルがつき、ローハイド(鞭)が揺れています。少年はカメラに向かってニッコリと微笑んでいます。
 けれど、そのだまし絵を後ろ側から覗き込んでみてください。カウボーイ衣装の後ろ側は無残に裂けており、少年は下着さえ身につけていません。剥き出しになった少年の身体は、悲しいほどに薄い肉付きのまま、冷たい現実の中で震えているのです。これこそが、私たちが目撃してきたジャニーズという表現の、隠された真の姿です。

 そして、この「ずるさ」を全肯定し、温存させているのが、ファンダムという名の「推しの王国」に他ならない。この王国の中での絶対的な正義は、動員数や購買力といった「数」の暴力です。何の倫理的裏付けもない「インチキなお札(通貨)」を大量に刷り上げ、それを免罪符のように掲げて、その歪んだ王国内の倫理を現実社会にまで横行させようとする。

 彼らに求められていたのは、自らが加担してきた「嘘」の構造を、自らの言葉で清算することだった。もし彼らが最後の最後に、次のような言葉を語っていたとしたらどうだろう。
「僕たちは、組織が抱える巨大な嘘のうえに立ち、間違った構造を温存させてしまう一翼を担っていたのかもしれません。本当にごめんなさい。ステージを愛し、ショーにすべてを捧げてきたこと、それだけは真実でした。エンターテインメントの美しさや、ファンの皆さんが作ってくれた熱狂さえあれば、すべての歪みが許されると錯覚していたのです。しかし、人生が一度きりであるならば、私たちはこれ以上、嘘にまみれた構造の上で誰かを幸せにすることはできないと考えます。さようなら」

 ――もちろん、現実の彼らがこのような言葉を口にすることはない。解散という幕引きのなかで彼らが守ろうとしたものは、表現者としての誇りではなく、完璧に構築された「金のなる木」をとことん手放さないという、冷徹な商業主義の選択だった。


終章:予言された未来のなかで

 この一連の論考は、ジャニーズ事務所の性加害問題が白日の下に晒され、日本中が騒然としていたあの瞬間に書き下ろしたものである。当時、私が鳴らした警鐘は、世間のエモーショナルな擁護論や、メディアという利益共同体の意識的な隠蔽によって、事実上の「不発」に終わった。

 あれから数年という月日が流れた。

 看板は掛け替えられ、クリーンな新会社として生まれ変わったかのように見える。しかし、その新会社の社長の椅子に座ったのは、他ならぬ元フジテレビ専務の男だった。驚くには当たらない。その男は、あの朝の顔であり、長年お茶の間にジャニーズの爽やかな偶像を刷り込み続けてきた『めざましテレビ』の初代プロデューサー(生みの親)なのである。

 これこそが、自らすべての欺瞞を告白してみせた「フジのだまし絵」の完成だ。「決別」も「新会社」もただのフェイクであり、ほとぼりが冷めれば、かつて甘い汁を吸い合い、虚構を一緒に作り上げてきたテレビ局の演出家が、再び集金システムのハンドルを握る。彼らは自ら、その強欲な本音を世間に白状してしまったのだ。

 私たちが今生きている現在は、数年前に私が警告した「最悪の予言」が、そのまま現実化してしまった世界にほかならない。「推しの王国」の住民たちは、今夜もそのインチキなお札を振りかざしながら、悪魔の夜の熱狂に身を投じていく。

 増幅された音楽、踊る光線、きらめく衣装、手を振る美少年たち。
 その華麗なショーに感動しているお母さん。あなたが法悦に浸っているその瞬間、ステージの裏側では、あなたが送り込んだ我が子の純潔を、冷徹な欲望の影が陵辱している。

 ここまで言われてもまだ、あなたは我が子をあの世界へ送り続けますか。自分の大切な子どもを、華やかな祝祭の皿に乗せて、うやうやしく組織へと捧げるような真似を、まだ続けるつもりですか。
 その答えは、今も変わらず、我が子の手を引いてあの虚構の門を叩こうとしている、お母さん、あなたたちの中にある。

        (了)
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