「推し」の王国 2
「推し」が王国をつくりはじめた。王国というくらいだから、一定の社会的威勢(もう少し強いかもしれない)社会的権勢を発揮する集団、ということなのだろう。
「推し」とは「好き嫌い」、つまり主観の一部なのだから、それが必要以上の社会性を発揮するのは問題があるし、行き過ぎれば社会病理にまで発展するのではないか。というのがぼくの心配で、先日『「推し」が独裁を作る』、という原稿を書いたのも答えはそこです。
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ことのはじまりは�.献礇法璽困離侫.鷽翰�で、続いて��高市早苗現象の発生、ぼくの中ではこの二つに社会病理を感じたのですね。それは、
「推し」集団が、集団を形成することで一種、奇妙な権力を発揮する現象です。
理屈ではすでに答えの出たこと、その回答の社会性にほぼ反応することなく構わず自己主張する。「わたしたち」の「推し」の価値は不変であることを信じて疑わない、言わば異常集団の発生です。
ここで答えです。「推し」は王国を形成するのです。社会の中に形成された自治区のような王国。
その王国の中の倫理は、社会の倫理にまさっていて王国の国民は、外殻の論理より王国の倫理を支持するのですね。
ぼくは、先日書いた『「推し」が独裁を作る』、という原稿と重なります。
「推し」がこのところ日本に続く重篤な社会病理の原因で、放置しておけばやがては独裁まで行き着くだろう。という筋の原稿なのだけど、なかなか届かないなあ。
ジャニーズと高市早苗現象。この二つの症例に、いま日本の一番大きな病理があると思っています。
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わかりやすい言い方をします。
王国というのは「ファンダム」という社会現象の比喩。「ファンダム」というのは、新しい社会学によって定義された「集団的推し現象」のこと。これは「ファンダム」は王国化するという話をしたくて、この比喩をここまで引っ張っています。
「ファンダム」は、通常ファンクラブのようなものを結成されていると考えるのが妥当でしょう。となるとジャニーズのファンクラブがすぐに浮かびます。自分たちの好きもの自慢はここでは置いておきます。
「ファンダム」の行動原理は、ヘーゲルの「量的変化は、質的変化を生む」と符合しています。ほとんど、そのことを理解してもらえれば良いくらいです。
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さて、なぜ「ファン」が「ファンダム」になるのか。これは、ぼくの仮説ですが、共通語を持つことで集団化を促進し、集団意思を発揮するようになります。
蜜蜂の例です。蜜蜂は、一定の羽音を出し続け集団意志を発揮するのだけど、ではその羽音とはなんのだろうか。
ジリジリ、ジリジリ、ジリジリ(熱い羽音)、やがてその羽音は共通語の地位を獲得し王権を仕立て上げてゆく、というものです。
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困ったことはこの集団意志というものが、実にバカげたものだったりすることにある。そもそも偏った集団だからね。
それにきちんとした論理性を持ったテーマが、集団意志になるなんてこと自体ほとんどない。くだらない、おおよそ、クーダラナイことがテーマになる。
だから、赤塚大先生が、ココロのボスを生誕させたのですよ。この世に、
「クーダラナイ、クーダラナイ」
を連呼する人間(ココロのボスは人間ではないが)が必要なんだ、でないと「とんでもないことになる」という、先験的な教えです。
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少し極端になるが用例、(お気にさわることがあろうと思いますが)
なぜジャニオタは誹謗中票を続けるのか。これがまずわかりやすくなる。
イナゴの例、(言い過ぎかもしれないが)
イナゴは大量発生すると羽の色から性格まで一変してしまって超ヤンチャなイナゴになっている。
ジャニオタは、集団化によりある種イナゴ化が行われ、(一過性の)性格変貌が行われているというのはどうだろう。
(トランプ派の国会突入などはイナゴ化の説明がドンピシャりなのではないだろうか)
集団意志の麻薬性などはかなり前から言われていることだが、仮説はすぐに成り立つが実証はしにくい。だが、いまの日本を見れば、実証可能なほどくっきりと正体が見えているし、数値的把握もかなり正確にできるだろう。
(幸か不幸か、ここんとこのジャニーズ現象と高市人気は集団社会学の絶好のサンプルになるのかもしれないね)
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さてと、「ココロのボス」がいない集団は危ない。という言葉を一応の指標にしましょう。
ヘーゲルの「量的変化は、質的変化を生む」を覚えておいてください。この二つくらいで、ほぼ克服できるはずなんだが、どんなんかなあ。
○「推し」が独裁をつくる。
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