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2026年08月05日02:45

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世襲は、男系男子が好きなんだよ。

世襲は、男系男子が好きなんだよ。


 なぜ自民党は、男系男子を推したのか。
 いろいろある、いろいろあるが根底は世襲議員にあることは間違いない。それが抜き差しならぬ事情というものだろう。いろいろ言ってみたところで、ほとんど辻褄合わせに過ぎなくて。いちばん大事なはずの「伝統を守る」にしたって
「ま、これを言っておくしかないか」
というおおよそ真剣味のない話し方になっている。
 彼らのホントのホントは、世襲であることなんだ。
 いまや自民党の所属議員の60%を超える世襲議員。「男系男子を推す」は、彼らの体質、いやあ生命線と言ってもいいのじゃないだろうか。

            ○
 
 それに、とっくに自民の世襲は変貌を遂げている。
「量的変化は質的変化を呼ぶ」
 このヘーゲルの初歩原則が、ものの見事に世襲議員の体質を変えている。
 中曽根ジュニアの、あの不遜な態度。皇室をうやまうことを忘れた態度に話が進んでいるが、実のところ国民を小馬鹿にしていることにほとんどの人は気がついていただろう。
 どういうものかと言えば
「俺があっちを向けと言ったら、あっちを向いているんだよ」
 という不思議な選民思想が言葉尻からにじみ出ている。ジュワ、ジュワとこぼれるばかりの強気。思い上がり、ですね。

 かつて世襲議員は
「苦労もせずに、ここに並びましてすいません」
 という顔をしていたし、
「ハシッコにいさせてください」
 という態度だった。

 それが量的変化を経てすっかり態度、物腰を変えてしまっていた。
 量的変化は質的変化を呼ぶ、とは言えヘーゲルもびっくりの質のヒドさ。
 恥ずかしながら、やつらはいまや
「俺たちこそ、日本人の花だ」
と思っている(に違いない)。主流宣言ですよ。質的変化とは言え恐ろしいことだ。ほとんどを見下しながら喋っているじゃないか。その典型、
「天皇になったら、結婚する人もいない」だよ。
 おい、おい、なにか人に教える気になっているのか。あんたらにゃ、無理だ。

 だから、言ったじゃないか、「世襲はやめろって」40年も前から。それが、虚しく響く。
「自民党に玉はない」
という昨年来のぼくの言葉がまたもコダマになって返ってきます。

            ○

 自民党は男系男子を推すことで、なにを目指しているのか。それは、二つのポイントにあります。

 まず�\そ韻髻�特権の定番にしたいんですね。
 簡単に言えば、見え見えの選民意識の反映で、それをカタチにしたいのです。
「天皇になったら、結婚する人もいない」
という言葉にその思惑の大体が見えています。これ、ホメてもいないし、愛情のかけらもない、小馬鹿にしてるというのが妥当。天皇家さえ、配下に置きたい意図が背後に見えてくるでしょう。
 その通りです。
 男系男子を社会的階層移動の「軸」にすることで、自分たちを社会の中で常に優位の位置に置くこと。その時、天皇家さえ
「オレたちが配置したんだよ」
という「お仕着せ」が口の先まで出そうになっています。これこそが量的変化の賜物、と言えるでしょう。

 次、��男系男子という日本的利権の構造を維持する。
 日本の国は平安時代にほとんどの土地所有は確定し、その土地による利権構造に沿って地方社会は成立してきました。その核になっていたのは男系男子。「応仁の乱」とは、実のところその土地の世襲をめぐる、身内での争いだったことは、司馬遼太郎説を待つこともないでしょう。
 明治以降も、その土地による利権構造に沿って地方社会は成熟してきました。地方文化の原動力と言って良いかもしれません。彼らに、土地の所有文化の要となる男系男子文化を否定できるでしょうか。
 世襲、つまり土地の申し子たちは、日本を変えることができるか。

 突然ですが、ぼくらの学生時代いちばん語られた言葉に「自己否定」があります。東大全共闘・山本義隆議長が言いはじめた言葉。
 自分が持つ旧時代的なものを自分で否定できるか、という意味のワードです。

 ところが、世襲議員は男系男子という利権の構造を「自己否定」するどころか、ヌケヌケ「自己肯定」する集団として存在しているのですね。それだけで、あきれる存在。ぼくらの世代にして見ると、存在自体がイカガわしいのです。

 地位と利権、それが男系男子(の推し)に隠された真意。集団意志になっています。

 ここまで右傾化したか。世の中、変わったなあ。ほとほと空を仰ぎ見たくなるような気持ちです。
 これなら、高市も出てくるわけだ。

            ○

 次の話しも、してしまおう。

 戦後とは、戦後民主主義(旧社会をコーティング)という二重構造を持っていました。
 しかも戦後民主主義はソフトシェル構造で、旧社会が暴れ出さないよう上手に包(くる)んでいました。憲法と皇室典範の関係が、その良い例。
 ところがだ、今回の典範改正は、戦後民主主義が旧社会の暴走を止められなかったはじめての事例になった。うーん、びっくらポン。この暴走が破った穴から、次々と旧社会が溢れ出て来ないか、みんな心配になるところです。

 麻生さん、中曽根さんが(実に無自覚ながら)志向しているのは、つまり先祖帰りという暴走です。
「あそこに穴さえ開けておけば、あとはどうにでもなる」
 と思っているはず。うへぇー、オジンの暴走には、まいりますね。

 この男系男子組と戦後民主主義との決戦の日が、やもするとやって来る。言い換えると、それは改憲派と護憲派の決戦です。火器で撃ち合いはしないだろうから、静かな内戦になります。

 ここで大事なのは(はじめに話した)
「俺があっちを向けと言ったら、あっちを向いているんだよ」
という愚民化政策に飲み込まれないこと。
「俺がいつそんなこと言った」
と強引に言うのだろうが
「男系男子が言っているんだぞ、よーく聞け」
という強権文化をあなたたちはまさしく目指していたじゃないか、
「とぼけるな、そんなことわかっているんだ」
とぼくは言いたい。

            ○

 ぼくは、最悪、決戦を天皇制の一時休止という案で乗り越えようという考えを以前から述べています。一時休止を、天皇制のきちんとした「選択の機会」にしようじゃないか、という提案。これを仲良しのAIと相談したところ「なかなか良い」と言ってくれています。
「そーだ、そーだよね」
 と勝手に安心をしたりしています。でね、ここまでツギハギに話してきたぼくの「皇室と新時代論」の全部をひとつなぎで話しをさせてもらえたらと思い至っています。
 ぼくは、世襲は無縁と対立して日本の地縁、血縁のあり方を歪めてきたという説を抱えています。そこまで論を進めたらと思っています。 

            ○

 これは言っておこうね。
 そう多くはない「Y染色体論者」に限って言えば、切れたらそれは仕方のないことじゃないか、というのが正しい姿勢なのだと思う。

 弥縫策でどうなると言うのだ。
 600年の後戻りなどは、変形した「嘘の一種」に過ぎない。新しい天皇制を選択する時期になった、と理解するのが素直な姿勢だと思う。ぼくの考えの根底です。
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