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2026年06月17日06:09

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全身ホント人間。埴谷雄高、嘘つきみっちゃんをかく語りき。

全身ホント人間。
埴谷雄高、嘘つきみっちゃんをかく語りき。


「全身小説家」というドキュメントを見た。主人公の井上光晴という作家は、ある理由でぼくには嫌いで仕方のない作家だった。
 だが埴谷雄高が見たかった。この映像が埴谷の生きて声を出している姿を見ることのできる唯一のものだろう、そう思ってみたのだが埴谷の「ホント人間」ぶりには快哉をあげたくなった。井上光晴という嘘まみれの小説家の人生を、ホントの言葉でスラスラっと解説してしまっている。

「あー、小説家ねぇ、これはねぇ、嘘つきみっちゃんがいちばん適した職業についたってことさ」
 この1行が、ケレンに満ちた小説家のドキュメントをどれだけ見やすくしているだろうか。ウカウカしていれば井上に引き寄せられた女たちのように、ぼくだってケレンに惑わされかねない、
「そいつは、勘弁してくれよ」
とは思うのだが、引き込む力は十分にある。嘘に踊る踊り子の役目だけは願いかねる、とまあ言うことだ。


 井上光晴は、長崎県崎戸町に育った。それ以外のほとんどのことは嘘でできている。どうして嘘をつくのか、いちばん公平に言えば、
「嘘をつかないと小説にならないから」
ということなのだろう。弁護する気は毛頭ないが、やつの嘘にはさほど悪気もないというのはホントだろう。

 崎戸の小学校を卒業すると、井上は島を離れることになる。その時、崔という朝鮮の少女との別れがあり、そのドラマがドキュメントの中で再現される。
 卒業して半年後、井上が島に帰ってくると、いないはずの崔という朝鮮の少女を発見する。
 島の炭鉱の受け銭日(給料日)に、朝鮮女郎たちは娼楼への呼び込みで、浜を、町をうねる。
「さあ。おいで。わたしら、あんたを待ってるよ」
「わたしら、あんたを好きで、もうたまらんのよ」
と呼びかけるように体を泳がせて、白昼夢のように踊り、その最後列に少女がいた、のだ。
 井上は娼楼に少女を尋ねるのだが、少女は
「いまは、いないよ」
 といなされる。

「同級生の朝鮮の女の子、おぼえがないなあ」
「崎戸に朝鮮のピー屋、なもんあるわけないでしょ」
 同級生たちは、もはや高名な「同級生の小説家」を悪様(あしざま)に言うわけにもいかず、口ごもっている。
(では、あれは嘘なんですか)
と言葉を添えれば、同級生たちは一体どんな顔をしただろうか。想像だが、そろってほっとした顔をしただろう。

 それにしても浜をうねる朝鮮女郎の行列には、目を見張る。
 カラー映像の中に登場するモノクロ。淡い幻影のようなハイキーなトーン。なだらかな倍速。風はショールを泳がせ、女たちの真白い手は宙を踊る。
 原一夫という監督が、生々しいドキュメント映画の映像作家だけではないことを、この白昼夢の映像は教えてくれる。


 井上光晴の嘘は女性ガラミが多い。
 映像の中で井上光晴の思い出を語る女性が次々と登場する。監督の意図はすぐ想像はつく。いろいろな女性がいる。いろいろな、というのが答えなのだろう。中には陶然と
「ある時期、井上光晴はわたしをいちばん愛してくれていた」
と言う女性が出てきたりする。突然、どう見ても普通の女性にこころのパンツを脱がれても困ってしまう。
「そんなとこ、聞いちゃあいないよ」
と心の中でツブヤキ、平然と見ているより仕方がないのだろう。

 また、埴谷雄高に整理してもらおう。
「井上はねぇ、3割打者なんです」
「3割というのがすごい数字なのかどうか、おそらくすごい数字なのでしょうが特に驚くこともないのでしょう」
「井上は、ぼくらとは考えが違うのです。目の前にきたら、全員、全員の人に(口説き話しを)はじめてしまうのです。顔とか、声とか、関係ないのです」
 まったく淀みのないカラッとした声。まとわりつきそうな人間論が「ふるい」にかけられパラパラと落ちてゆく。
 嘘つきみっちゃんの、3割打者人生。
 ある種、漫画チックな井上の実像が見えてくる。

「ぼくらはね、それを笑って見ていればいいんですよ」


 生前、縁の深かった瀬戸内寂聴が言う。
「井上さんはねぇ、”なにか”どうしても言い出せないことがあったのよ」
「その”なにか”が言い出せないから、語り続けるのよ。切れ目にねぇ、出てきそうになるのだけれどやっぱり元に戻っちゃうのよ」
 その”なにか”とは、出自のことなんだろう。原一夫も、どうやらその”なにか”に真相があるかと追うのだが、時が真実の帳を寸前のとこで塞いでいる。
 でも、まあ、想像はつく。
 冒頭に出てくる井上の裸踊りの所作を思い出すと、ぼくにはすぐに想像がついてしまう。柔らかな手の差し出し方、返し方。けれど、それも(井上のいない「いま」となっては)推測でしかないわけで、もうこれ以上、答えを進めることはできない。
 

 埴谷雄高は、生前の約束で井上の葬儀の葬儀委員長をすることになる。
 そこでの総括は、
『普通の勤め人とは違い、「経歴詐称」を含めて「嘘」をつくことを大目に見てもらえる、個人事業主の「嘘つき屋」稼業としての「小説家」になったことで、「クリエイティブな嘘」をつけるという「自由」を手にした、という人生だったのだろう』
 といともあっさりホントを語っている。

 ホントというのは、一見さびしげなものである。


(次回、ぼくが井上光晴を嫌うことになった出来事を書き込んだ文章を再掲します)
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