「中道」という言葉は、終始、日の当たるところに出たことはありませでした。
古くからあるんですよ。1960年、民社党が生まれ、1964年に公明党が誕生し、自社以外の新しいリべラル勢力の台頭を表すものとして掲げられた言葉です。
しかし、まあ、思った通りにはいかず常に脇役でした。地味な役どころ。
どうしてか。それは自民党があまりに広い支持基盤を抱えていて、常に半ば飲み込まれそうなポジショニングになっていたからです。際立たないんですね。陰日向好き、という育ちになりました。
その意味では、実に苦節60年。がんばりました。
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少し図式化します。
頭の中に下の物差しをイメージしてください。
(L→→N←←R)
「LR物差し」です。これで、政党が左右どのポジショニングを占めているかを表します。
Lは左、 Nはニュートラル Rは右です。(LR共に3段階とします)。
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では、はじめます。なぜ「中道」は脇役だったのか。
それは、自民党がNの位置からRレベルで言えば中央値の2よりさらに右を占める、非常に幅広い価値観を抱える政党だったからですね。だから「中道」を志向する政党が、いくらNのゾーンを目掛けて球を投げても
「自民のミットにシュポン」
と吸収されちゃうんです。
公明が良い例で、コアな支持者には見つけてもらえるのだが、フリーな立場のNゾーンの人を結集させるまではできない、わけです。サブですよね。
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少し時代が進むと、「一億総中流」が進行します。すると「中流」と「中道」がシンクロをはじめます。しかし、それは喜ぶ人ばかりではありません。
自分を「中道」とみなすことは、「中流」であることを承知することになります。となると、「中道」は、そううれしい言葉ではなくなります。自民支持の人たちは少なくとも「中の上」が目指すことが存在意義になっていて、「中流」ないし「中道」にそ知らぬ顔を決め込むようになってきます。
当然ですが、次第に「中道」自体が自民に馴染まないものになってきます。
というわけで「中流」からなだらかに「中の上」に移行させる装置を自民党内に貯える必要が生まれます。
それが、いくつかの新興政党であり、さらには26年続いた公明党の役割だったと考えられます。
日本新党、さきがけ、新進党、民主党、どの党名を見ても「中の上」感を表している語感かと思います。決定的には自民党は、社会党を「中の上」に進みたい人への踏み台として上手に使ったと思います。そうしていつの間にか踏み台を公明に移行していきます。
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さらに時代が進行(いまの時代ですね)すると、
「中道なんて自民にいらないんじゃないか」
そう思う人が生まれてきます。
「俺は、公明党なんて大嫌いだ」
という麻生さんは特殊なタイプだが間違いなくその一員です。
そこに「ついにあたしの番だ」と右志向(レベルR2かな)の高市さんが登場します。
「中道なんて自民にいらないんじゃないか」と思っていて、わざわざマーケットを狭くしたがるのですね。(多くの人は、思い上がりと思ったようです)
そこで気になるのが「おじゃま虫」、参政党です。さらに右、R3の位置にいます。
「邪魔だなあ、あたしの得意な位置出し」
高市さんはR2の位置をゴリゴリ主張します。
(R票を自分の手で取り戻そうとする行為だと、思われます)
ところが、この時、合わせて公明党をシュッポンときってしまいました。
「中道なんて自民にいらないんじゃないか」と思っているわけだから、当然の選択で本人、なんの迷いもありません。
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ここで、いまになって見えてきます。実に、もう、そのう「やっちまった」のです。
右から、参政党、自民党、(ひとつ置いて)Nの位置は空っぽのゴール状態。(キーパーはいない)誰もいないど真ん中。その誰もいないところに、「中道連合」がスクッと立つと見渡しが良くて、それに、またよく目立つんだ。
スカーッと空は晴れ。左右、手を振っても誰もいない。
立っているだけでスター、1960年年代以来はじめて「中道」は主役になりました。
「ありがとうございます」地道にご挨拶する「中道」。いいよ、健気。
これは、この状態はまるっきり予想がつかなかった。(高市さんもびっくらポン)こうなると、えぇ、スターになったわけですから、大きななにかがないと変わらない。
あの国民民主は、玉木さんですね、
「中道ってなんですか」
とやっちまったんでそばにも寄れない。相変わらず、口が軽いの治らないなあ。
「中道」は公明、斎藤委員長の悲願ということらしいが、うーん、よくできている話しだ。感心するばかり。
政治解説風に言えば、「風が吹いちゃった」。さあ、どうする、自民。
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