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2025年12月18日17:02

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「なら死ぬな」〜「べらぼう」最終回でジーンときたもの〜

 「なら死ぬな」
〜「べらぼう」最終回でジーンときたもの〜


 人は何度くらい無情な言葉を投げ返して生きて行くのだろう。
 歌が、歌麿が、蔦重に新作「山姥」の先を見たけりゃ
「なら死ぬな」
と声をかける、そうもいかねぇよなあ。当の蔦重は死にかけ、かすかに頷くだけ。

 だがね、歌のセリフ、ぼくにはまるで違って聴こえたよ。
 どう聴こえたのか、うーん、あれは、
「オイラ、あんたが好きだよ」
 という声にならない声にちげぇねぇ。
 そーさー、風に乗って、新内に乗って、やってきた、泣き声、もがき声
 そいつは、ノンバーバルな声というらしい。

 人は一度は死ぬ、二度死ぬのは007だけだ(また余分なこと言っちゃった)。
「なら死ぬな」と「オイラ、あんたが好きだよ」が、龍のカラダようにひとつになって江戸の宙を舞う。

 おーい、行くなよ、行くなよー。
 行ったらさあ、オレ、泣いちゃうぞ。知らねぇぞ、ぞ、ぞ、ぞーさん、ぞーさん、お鼻は長いでしょ。
 これも余分だが(象さんは、1792年すでに中野で見せ物となっている)。

                ○

 蔦重が先駆けた「化成文化」というのは町方の文化で、横丁から、長屋から、床下から、溜(た)めから、這い出すように出てきた町人が作り出した文化だ。

 戦争の前後かな、若い学生が
「先生、あたくしは名もなき人の側に立って歴史を研究して行きたいのですが」
と申告すると、申告を受けた東大の大教授は
「君、豚に歴史はありますか」
言ったという話が残っている。
 権力とはいつもそういうものだ(なかなか本音は言わないものだが、不用意にぽろっと出てしまった)。
 そう言っちゃあ悪いが、これも
「豚に歴史はあるよ」
という答えになるだろうか。

「洒落(しゃれ)」も強いが、貧乏もトグロを巻いている。さ、それを見せねぇように気の張りで見せるのが、やっとこさの痩せ我慢。吉原田圃に生えた文化の苗、蔦重文化。
「作者にけっこう侍が多いじゃねぇか」
という意見もあるだろうが、それにしたって言わば町方の侍で。立派な侍は女郎にゃ惚れない。(例外はあるが)
「べらぼう」たちはまっつぐ生きる。泥水の中にしっくりしゃくり立った「エーイ、町方の、心意気」を踊るように生きて行くのです。

 では、最後の最後に、本居宣長を招き入れ、さあ、蔦重はなにをやりたかったのか。

 吉原が生み出した「洒落(しゃれ)」が「もののあわれ」とひとつになって、新しいものが生まれないか。蔦重が思い描いていたのはそうした町人文化を語る「美学」を誕生させたかった、というのはどうだろうか。
 とここまで書くと感のいい人はわかるだろう。それはねぇ、書くのもったいないよ。「粋」の文化の体系化だったんだろう。
 町人から派生して、町人が与太を飛ばし、転がって泣いて笑い、生まれた文化。そいつを「ひとつ名」で呼ぶことができないか。蔦重は意図した(とぼくは思う)。

 実に、その完成は九鬼周造の「いきの構造」を待つしかないが、その実態は、蔦重たちが作り出したものに違いはない。

                ○

 次は、写楽の話。
 江戸の泥水から生まれたどっこい「澄んだ水」だが、よーく定かでねぇとこもあまりある「粋」の文化は、写楽って役者絵に収斂されていくことでスッキリとしたひとつの姿が出来上がった。それを可能にしたのが、写楽プロジェクト説なのだと思う。
 生き生きしたリアリズム、洒落とひとつになった諷刺性。
 中でも「奴、江戸兵衛」が生まれることで、余分な枝葉を落とした「粋」が、現れた、作られた。「奴、江戸兵衛」が「粋」の核となり、それをみんなが共有することでひとつの文化になった。というのがぼくの意見。これで、(突如、硬い言葉)整合性が取れている。こんな出ました。

 斎藤十郎兵衛・説がほぼ定説となっていることは承知しています。
 山田風太郎の写楽小説で、投げ込み寺に裸で女郎が投げ込まれるとにじり寄り、顔とボボを描いていた乞食坊主が写楽で、名前は斎藤十郎兵衛。という内容は特に大好きだが、ここではプロジェクト説を残すことを支持したい。
 
                ○

 それでねぇ、ここまで書けばはっきりする。一橋治済は成敗しないと、話は成りたたねぇ。 
 町人が命がけで洒落ているのに、ご気楽に77歳まで生きられりゃあ、町人たちの立つ瀬はないさ。春町先生のように、早死にした作者もかなりいる。
 町人は、治済の掌(たなごころ)のオモチャじゃない。としなければ、まず、スッキリしない。エレキで始末は良いことだがもう少しはっきりさせてもいいよ、というのがオイラの希望。
 ボーッと燃え上がり、こちらも龍になり江戸市中にキリキリと墜落する。というのはどうだろう。これくらいは欲しいよね。

                ○

 瀬川のお尻は丸かった。
 籠屋の店先で見る瀬川の姿。ふっくら丸い尻はカタギの幸せを表している。
「顔を見せてほしい」
という注文は多いらしいが、尻を撮ったのはそういう意図なのだろう。

 実際、瀬川は町方できちんと生き続けたという記録が残っているらしい。

                ○

「蔦重不美人之相揃」でございます。

 おていさんの話です。美人画の泣き所は顔がどれも近しいところ。歌の「当世三美人」にしたって、素人は顔からでは三人の区別はつきづらい。それを逆手にとって、いかにもの不美人におていさんを仕立て上げたのは素晴らしい。これが、ドラマを単調にしなかった。女性を類型化しなかった。

 不美人は美人のひとつ。その通り。
 この理屈がドラマを大きく大きくしている。歌が好きなのは、蔦重ではなく、お義姉さんじゃないかとぼくはずっと思っていた。その方が、最後の和解の見えにくさも解消できる。

                ○

 吉原が無くなったというのは「売防法」以降となっているが、実はその時、仲ノ町通りが通り抜けになったのがすべてだと思う。
 吉原に入り込み、行き当たる仲ノ町通り。そこをあっという間に風が吹き抜けるように、クルマが走り抜ける。
 争いようもなく、お見事に色街の姿は薄れていった。
 もし吉原を見ることがあったら、通りが行き当たりであったこと思い出して欲しい。そうするとくっきり吉原は見えてくる。

「大門を出ていく時、いい思い出を持って出ていけるところにする」
と願った蔦重の思いは、さあ、どこまで叶ったのか。
 
 東京大空襲でたくさんのお女郎さんが亡くなった(逃げ遅れでね)のが「吉原の不幸」の最後になったのだろうか。

                ○

 行くもバカ、戻るもバカの町人性。
 名もなきオイラが、世の中だ。

 町人は自由を拡大しようとしたが、エレェ侍は抑圧しようとした。
 これが「べらぼう」の物語。
 権力者が主役ではない、数少ない大河でした。
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