mixiユーザー(id:5708627)

2025年08月03日21:46

68 view

小三治、恋しい12月。   (全編・書き直し)

【昭和の落語家たち 7 柳家小三治】

 小三治、恋しい12月。


 東京生まれで、家は新宿の柏木。山手線の内側生まれはね、噺家とはいえ、そうはいない。高校も都立青山高校と山手線の内側が続くのだが、卒業して、さーて、と学芸大に受験するも失敗。先生になるつもりが、ここで落馬しちゃった。ボキッ。
(ちなみに学芸大は小金井、山手線外回りのさらに外じゃ合うわけねぇ)
と言いたいんだが本人はそうもいかない。

「オレ、なにやって生きて行こうか」
 根が真面目なもんだから、ハタと迷った。うーん、悩みに悩んで家にこもってきっかり半年、真っ黒になって抜け出してきたら「とんでもない」ことを言い出した。高校で落研にいた縁を生かして
「落語家を目指すことにした」
というのだ。

 親はずっと地元の新宿の小学校の校長で、学芸大に行かせたかった。
「これは、もう決まっていることなんだよ」と親は思う。

「なんとかやめさせるには、銀太郎さんに頼むしかないか」
 教師ひと筋のカタイ頭をめぐらした。小学校の教え子に、家が近所の末広亭の子が居た。父親は大旦那こと末廣亭の席亭、北村銀太郎。
「これだ、これしかない。これにすがろう」
と北村銀太郎にひそかに手を回し(うまく断ってください、と)あらかじめ話を作っておいたのだが、これが空振り。
 人生、わからないもんだよ。
 なんと「小さん」に気に入られスイスイと入門になっちゃった。

 親はガッカリ、本人はワクワク。少年の頭はトンネル通過だ。バンザーイ。それでも
「後戻りはできねぇよ」
と本人は思っていたらしい。

(で、2008年12月の文章に戻ります)

          ○

 暮になると人恋しくなるよね。秋の人恋しさとはちょいと違うぬくもりのあるやつが欲しくなる。これが人心というやつさ。

 柳家小三治、寒い風が吹き抜ける12月に
「世迷いながら、あんたも俺も生きている」
と同じ塩梅でやってくる。そしたらさー、蕎麦屋に飛び込んで
「おう、おう、おう、寒くて行けねぇや」
「早番で一杯、頼むよ」
なんってこった、やつもぬくもりを欲しがっている。

 トシ食ってから声も少し低めになって、間合いも落ちて、もうひと調子よくなってきた。まるで押し付けがましさがなくて、まことにちょうどいい。

 押さえ目に話しはじめて、少しずつ世界をつくりはじめる。滑らかな語り口なーんて全然、つっかえるような話し方がそのまま話の間になっている。自分の地で生きてる様子が、そのまま芸になりはじめた、ということなのだろう。

 話の人物が動き出すと、やや調子を持ってくる。軽く踊り出すような感じがある。違うのは、小朝のようなみょうにスカした感じはない。
 本人のあまり欲得にこだわらない性格が、ここに来ていい方に振れているんだろうね。声音に生来のフラがフラフラと泳ぎ出てきて。まさかの、真面目なフラ・ボーイ。気取りもなければ、見えもない、
「普通の男だぞ〜、俺はぁ〜」
ユルユルの姿になっている。

「お前(めぇ)の話しはちっともおもしろくねぇ」
と若い頃、師匠小さんに言われ悩んでいたそうだけど、それはそれで一理あるにしても、人の動きの味わいは他の誰にもないものがある。あるんだなぁ。
 教師の倅(せがれ)という真面目さとヘロヘロ、フラフラが同居している。世間が、
「これなら許せる」
という頃合いの調合が、小三治の持ち味なんだろう。フツーの人間から(思わず)こぼれてくるフラのおかしみ、としておこうか。そん時は、
「へぇえ、そうなの〜」
と小三治の声が裏がえったりするよ。
(内緒だけどね、ここだよ小三治は…あー、いけね、話しちゃった)

 小さんの言う一理とはどんなものか。
 柳家とは滑稽話の総帥で、そこが三遊とはちがうところ。なんと言えぬ人のおかしみが夏目漱石に「小さんほどの名人と同じ時代に生きた幸福」とまで言わせたのが柳家の芸。だけれどもこれが小三治、ちょいと苦しいとこだった。
「蓄音機の前の犬じゃあるまいし、なに首かしげてんだ」
ってなことが咄嗟に飛び出す名人、志ん生のようには
「あー、なかなかいかないや」
とバンザイ気味だったのだけど、

「お前(めぇ)なぁ、くさい話しはだめだよ。つくり事じゃ客はだませねぇよ」
と志ん生にさとされて肩の荷がなかば下りた。
「あ、ごめん」
ほとんど背中の垢のように落ちた。(ホント言やあ)頭の荷が下りた。なにしろ同門に才気の談志がいるからねぇ。手離れしやすい。

 そこで、
「とくにおもしろいことを言わなくてもいいや」
とプッツリ決めて20年くらいになるのかなあ。素噺のままで構えて、平然と演るようになった。まくらには凝るから、相当、工夫するね。普段は少し古風な季節語りのまくらで入る。それと、まくらから、噺にうつる時のふっと息を飲むような動作もいい。(本人きっと緊張しているのだけど、実にわからせない)

 サワリだけちょっと行くよ。

「おい、おい、ツーと開けてくんな。
 行き倒れの当人が引き取りにきたんだから開けてくれ」
「まいったねぇ、さっきの人だよ。また来ちゃったよ」

「あなたねぇ、こういう時は、気を落ち着けて、ね、ね」
「なに言ってやがんでぇ、あわてて長屋に戻って当人を連れて来たんだ。
 おーい、早く中に入って自分で確かめろ。どうだ、お前(めぇ)だろ」

「へぇーぃ、え、え、少し顔は長いが、兄貴ーっ、こいつは俺だ」
「夜露に当たって少し伸びたんだ。当人が見て言うんだ、間違いねぇ」
「違いねぇ〜」
「あなたねぇ、しっかりしてくださいよ。あなたはここにいる。ということは、この行き倒れの人は…」

「だから当人だって言ってるんじゃねぇか」
「そうだよ、俺のこと悪く言うなー」

「粗忽長屋」の山場です。特に変人奇人は出てこない。けれど、お題の「粗忽長屋」そのまま、高座に座る当人がそのまま当の落語者になっちやった。そいつは、
「いま話しているのは俺だけど、中に出てくる俺は誰だろう」
の世界になる。(これを名人になったと言うのかなあ)

 けれどカラダの具合のせいもあって、寄席にあまり出ていないようだね。ホール落語や独演会ばかりじゃ芸が「よそ行き」になる。
「一杯引っ掛けて、花園神社のお酉さまを通り抜け、ふらふらっと寄席に寄ったら小三治が居たよ」
という具合に出会いたいものだ。これが落語の暮れの世界なんだけどね。

 そうしてひとこと、言うのさ
「いい暮だったねぇ」

          ○

 この文章の後、師匠小さんの後を受けて「人間国宝」になり、2023年に亡くなった。
 言い方はともかく、「真面目とフラが一体になっている様子」が「人間国宝」への推奨理由の芯だった気がする。

 柳家小三治の後は、五街道雲助が四人目の「人間国宝」になった。
 二人とも「普通の男だぞー」という感じが実によく出ている。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年08月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31