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2025年08月02日22:05

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「風景は なみだにゆすれ」の年齢。(送稿用)

○この文章は、昨年11月、「春と修羅」が出版100年になっていることに
 気づいて書いたものです。つまりこのフレーズは100歳です。
 ぼくは、永遠に落ちてこないホームランを見つめるようにこのフレーズの軌跡を追い、
 遠くの空に宮沢賢治を思い浮かべます。



「風景は なみだにゆすれ」と言う一行は、いつ生まれ、いま何歳なのだろうか。

 ぼくもついうっかりしていたのだが、「あー、そうか」と思い出していまさらながらビックリした。
 このミスター・チルドレンの桜井くんを思い出させるような一行は、わかいロッカーがいまにも「シェキナベイビー」と歌い出しそうな躍動感に満ちている。

 言葉は歳をとる。言葉は変化する。それに時代の風俗がのると、一気に加齢する。
 たとえば「君、死にたもう事なかれ」と言う擬古典文をあげれば一番わかりやすいだろう。明らかに明治の匂いをまとっている。

「涙の河をふり返れ」と言う五木寛之の小説がある。演歌の竜を主人公にしたヒット小説だが、これにしてさえ時の壁を感じさせる。「風景は なみだにゆすれ」を(良い意味で)オマージュしたと思われるタイトルなのだが、今にしてみれば演歌の竜は軋むような体で歩く老人にさえ見えてしまう。

「涙の川」を歌ったマギー・ミネンコは、いまはどうしているのかなあ。デストロイヤーは死んだし、歌われることのない「時代の歌」になってしまった。いい歌なんだけど。

 そのまま「風景は なみだにゆすれ」をタイトルにした井上ひさしのエッセイは、いまもそこそこ売れているらしい。というように「風景は なみだにゆすれ」に触発されたと思われるものはキリない。

 まあ古い話ばかり続くのだが(突然、わか返って)、宇多田ヒカルが
「繰り返し読むような、大好きな本とかありますか? また、お好きな作家や詩人はいますか?」
と言う質問をされて、
「最近、小説とか短編に興味なくなって詩ばかり読んでるけど、なんだかんだ言って宮沢賢治の『春と修羅-mentai sketch modified』以上の衝撃を受けたことはないぜ」
と例の少年ナマリで答えている。

 答えは出てました。そうですね。
「風景は なみだにゆすれ」は宮沢賢治の最初の詩集『春と修羅』の一行です。ほぼ真ん中に書かれたその一行は、そこだけ時間の壁を取り払われたように燦然としている。ありきたりの言葉で言えば、時を超えている。

 宇多田ヒカルさん、あなたのお母さんは、列車の車中で産気づき出産費用もなく一ノ関で下車し、岩手で生まれた。その岩手の春を想像しているのだろうか。明るい光と冷たい空気が混ざり合う春。その中で、眩しげに振り返る宮沢賢治の写真の姿は、あなたにどう映っているのだろうか。

 ここで藤圭子の話を続けると錯綜するので、「風景は なみだにゆすれ」の年齢に話を戻そう。

『春と修羅』は1924年の自費出版だから、今年は2014年、ちょうど100年に当たる。100年にわたって届くわかい屈託とリズムを内に秘めた言葉。この言葉の力をなんと言ったら良いのだろうか。ぼくはもう驚くしかない。
(宮沢賢治は序文にある「詩集」の文字を、自分の赤字で削っています。それは、詩ではないというのか)

 演歌でもなければ、ロックとしか言えない語調。どうしてこんな時を超えた詩が生まれるのか。「YOASOBI」はこの一行になんと言うのだろうか。
「雨ニモ負ケズ」のおじさんは、「風景は なみだにゆすれ」って言っているんだぜ。

 いつだってチックタックと
 鳴る世界で何度だってさ

 時の擬音という悪戯っぽさと言い、なんて「YOASOBI」の語調と似ていることか。

 はじめの質問の答えを戻ります。(はい、途中で書いちゃっています)
「風景は なみだにゆすれ」の年齢は(1924年生まれで)100歳です。ヒッキーにも見える、「YOASOBI」にも見える100歳の詩は春の光の中を、まだまだわかい声音で生き抜いてゆく。
 岩手の鬱なおじさんの声は、恥ずかしそうな表情でいてそれでもわかわかしく時を超えてゆくのです。言葉の力は、捨てたものじゃない。
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