【昭和の落語家たち 4 林家正蔵】
チョコレートの種。
ジーッ、照りつくような不忍通りをリヤカーがゆっくりゆっくり進んで行く。それもその筈、前後(まえうし)ろに老夫婦が取付いて引き押ししている。早く進むわけはない。後ろの女性ときたら日本手拭いで姉さん被り、とても今どきの人とは思えない。見かねた通りがかりが声をかける、
「稲荷町の師匠、どちらへ」
「おう、お前さんかい。声をかけるんなら後ろに付けや」
こうして一行にされちゃった。
稲荷町の師匠とは八代目の林家正蔵(後に彦六)、リヤカーに積んだのは「さーて、最後の仕事か」とはじめた芝居噺の道具立て。これがなかなか大物で厄介。後々まで前座や弟子泣かせだった。なにかてぇとリヤカー一杯になる。
「おい、これは、引っ越しか」
と弟子はいつも泣いていた。
稲荷町の長屋に、留さんの文治と隣り合わせで住んでいるので、稲荷町の師匠。すぐカッとくるんで、あだ名はトンガリ。
近所の子がボール遊びをしている。ボールがどかーんと長屋の壁によく当たる。師匠、やにわに腕まくり、2階の窓に片足をかけると、
「うるせいぞ、野郎、俺を誰だと思っているんでぇ」
およしなさい師匠、相手は子供だ。まくりあげた袖が困っちゃう。
面倒見のいい人で、一門が集まるのが大好き。とりわけ誕生日にお祝いを持って全員がご挨拶、これが無常の楽しみでひとりひとりを待ちかねるようにしている。目が半分笑って、半分泣いている。とは言え、
「お前(めぇ)たちに、散財させるわけにゃあいけねぇよ。百円のもので充分だ」
中でも孫弟子にあたるのが小朝、これが可愛くて可愛くてたまらない。
当の小朝だが、(春風亭小朝です)
「さーて、さーて」
と器用に考えてアーモンドチョコをひとつひとつ小割りにし、きれいに銀紙にくるみ小箱に入れた。
「師匠、どうもおめでとうございます」
と手渡し、
「お、お、そ、そうかい。ありがたいねぇ」
正蔵、うれしそうにヒョイとつまんで銀紙を取り、(落語家がやるあの手つき)親指と人差し指ではさんで口に入れた。普段でもチョコレートが大好きだ。モグモグモグ、しばらくモグモグモグ。少し長いかなあ。大丈夫かなあ。
首を傾(かし)げながら、親指と人差し指でなにかをつまみ出した。
「おい小朝、このチョコレートには種がある」
先代、林家正蔵とはこんな人。デッデーン、毎度のはね太鼓です。
○
この文章は、ぼくが書き続けている「昭和の落語家たち」シリーズの4作目、林家正蔵です。
声が震えるのが特徴で(高血圧のせいだそうです)
「おめぇたち〜なあ、なぁにぃをしてやがるんでぇ〜」
と高座で(弟子の)林家木久扇が声を震わせては、やたらと受けていました。
声、姿、仕草、人間自体が生きてる古典で、(ほめ言葉ですよ)林家シーラーカンスとおぼしき方で。見るだけ、聞くだけで日本人の勉強になるような芸人でした。
その昔、名人「小さん」の次を誰にするかで、落語協会がもめました。戦前のことです。「小さん」を外され、では、と三平の家の名「林家正蔵」を一代限りで借り受けて手打ちとしました。それで、林家正蔵(八代目)。けれど、
「生きてるうちに、返さねぇと」
と申し出て名を返し、本人はなかったように彦六になった。それが、真相。とは言っても、古くて誰も興味はないか。
「落語家は、こうじゃあなきゃあ」
カランと放り投げた下駄の音が響くような、晩年の話です。
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