「よーく聞くと、藤圭子によく似た声」
この一行を見てまいってしまった。
「あー、そうなのか、自分はやっぱりそうなのか」
五つの赤い風船「遠い世界に」の藤原秀子バージョンを探していて見つけたコメントの中に、ポツンとこのフレーズがあったのです。ぼくは、とたんに偶然ストンと落とし穴に入ったような空白の感動に立居たったわけです。
落ちる時ってのはねぇ、時間が止まって下降して行くようで、(ホントにあるかなあ)耳の中がジーンとしてくるんだ。自分へのオドロキで下降する自分。
わたしが男になったなら わたしは女を捨てないわ
遠い世界に旅に出ようか それとも赤い風船に乗って
どこが似ているのだ、と思うかもしれない。けれど(言われたとおぼしき)ぼくにはすぐにわかった。女性の低音で、深い響きを持っていて、それが包むように聞こえる声。
似ている正体は、おおよそそうしたものだろう。
藤原秀子「フーコさん」のことを書いたのだけど、あまり反響はなかったし、あの響きは経験したものじゃないと通じないか、とがっかりしていた。そこで、この一行だ。
自分ではわからないものだ。
音楽の話をするのだけど、自分の好みを押し付けるようなことはないようにとくれぐれも気をつけていた。それが、結局、側(がわ)から見ればこの有様。情けない。悪いことではない、ではないのだろうが身びいきな偏りで話をしていたのかと思うと少し恥ずかしいね。
思い返すと、ぼくは広瀬香美が苦手だった。というより頭が痛くなるので避けていた。
「絶好調ーッ」
ここでぼくは絶不調になり、頭が痛くなった。瞬発です。もうこの先はとても聴くことができない。ホントの話です。
「…真冬の恋、スピードに…(リモコンパチン)」
広瀬香美が勉強でニューヨークに行った時には、申し訳ないがなぜかホッとしたものです。
というようなことを思い出していたら
「男性が女性の低音が好きなのは、胎内で聴いた母の声を覚えているからだ」
という説が浮かびました。羊水を通して聴く母の声は、低い通奏低音で胎児に届くらしい。ぼくはこれを信じているのだけれど、ひとつの仮説であっても「すべてに通用する説ではない」のが現状のようです。だって、これ以上、立証の方法がない。
で、ぼくの好きな女の歌手を列挙してみた。
岸洋子 ケサラ
青江三奈 あなたがもう一人いればいい
ジュンとねね 愛するってこわい
渚ゆうこ 京都の恋
テレサ・テン 時の過ぎゆくままに
カルメン・マキ だいせんじがけだらなよさ
まだまだあるのですが、どうやら深い低音の響きを持っている歌手に偏っているようです。
ま、ぼくの好きな歌謡曲をあげてみても仕方ないのでしょうが、女性低音の歌手の数の多さは説明できそうです。これに伊藤ゆかり風の(男声でいうところの)クルーナー風の歌い方、歌声を合わせれば一番多いところかもしれません。
シャンソン系の歌手はだいたいオッケーのようです。昔、音大系の歌手で
「高い音が出なくなるとシャンソンに転向する」
と(なかば作られた悪口でしょうが)言われたものでしたが、
「あー、なるほどね」
と静かな日常系の音程をぼくはとても気に入っていました。
ひとつ知りたいのは、実に子供の頃からの疑問なのです、女声のソプラノ音色の
「どこに魅力を感じるのか」
ということです。
「天使ような声」とか、「清純な声」などがあるようですが頭が痛くならないのでしょうか。クラシックの世界では、いつも特別な価値のある声として扱われているようですが、いまひとつぼくにはわかりません。
なにかこう世の中に出てからつくられる「後天性の音色」というような気がしてならない。ぼくは偏っているのかなあ。つまり一種の技巧を感じるのですね。(「純」というところだけなら、少年合唱団のボーイソプラノには勝てないような気がします)
世の中には、音大出身の人、声楽出身の人はままいらしゃるわけでその人たちに(弓を弾くようでなんのトクもない)のですが
「なんの魅力に取り憑かれているのか」
そりゃあ、まあ、知りたいのですね。
女声に「母の声」を探すのか、「女性の声」を目指すのかというような仮説はすぐに立ちそうですが、くっきりとした答えは出ないでしょうね。俗説扱いで、というような言い方もあるよね、で終わるのです。
当方、無学ということなのでしょうが、重々そこは理解しますので、教えてください。
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