3 「森進一、もし君が歌を歌えなかったら」
60年代の後半、「森進一、もし君が歌を歌えなかったら」をテーマにしたTBSのラジオドキュメント番組があった。森進一が歌手になるまでを、音のドキュメントで追いかけようという「ラジオの時代」を思わせる実験的な放送だった。
森進一は、故郷の中学校を出ると母親と暮らしていた鹿児島を離れ、神戸の寿司屋に入る。単的言えば、住み込みの小僧だ。でも、そこを長く勤めることはなかった。すぐさま飛び出して東京に向かう。その時には歌手になろうともう決めていたらしい。
「えー、うちの店にいたの。覚えていないなあ」
「この街に、森進一がいたの、ホント」
神戸の街の中から森進一の残像を拾うことはできなかった。
発車のベルが響く。
列車の音、ガタン、
「東京ー、東京ー」
駅のアナウンス。
(ここからTBSのテレビドキュメントに変わります。ラジオから15年後です)
「この人は泣いていますね」
日本音響研究所の鈴木松美所長が(聴けばみんなわかるのだが)ほとんど感情のこもらない独特な声、それが素晴らしく冷静で、真実味があります。
所長の指の先には、オシロスコープがあり中を曲線が泳いでいる。
「この音ですよね、正しくというか素直に発声すれば直線です」
ダイアルを動かす。すると曲線はビューンと減衰してきれいな直線になる。
「けれどねこの方の歌声は、上下に動いているんですね」
「普通、上下どちらか一方、ま、普通は上に伸びるんですが」
元に戻すと、波形が上下にバネのように広がりチジミ、脈動している。
北の街ぃではぁ もうぅお〜
悲しみぃぃを 暖炉でぇぇー
スピーカーでは、森進一はいつものように歌っている。
「この上下に伸びる曲線の状態というのは、ぼくが知る限りは二つですね」
「ファド、ポルトガルの港の女歌です」
「もう一つは、申し上げにくいのですが、韓国の泣き女ですね」
ファドは港で女たちが、海で死んだ男たちを思い出し歌う歌。泣き女とは、韓国の葬式で雇われる、泣くことが仕事の女たちのこと。
鈴木松美所長は音楽が専門ではないので、森進一の声が「揺らぎ、ヴィブラート、こぶし」のどれに当たるか、どれに近接するかをあえて指摘はしない。
「それはもうぼくの仕事ではないので」
と言いながら森進一の波形に「泣き声」の波形をスポッと載せてくれた。あっという間にほぼひとつの曲線になっていた。
ぼくは、その前から森進一マニアだった。ほぼすべての曲を知っていて、はじめて仕事についたところがハシクレだけど日本ビクターの宣伝の担当で、もうそれだけでうれしくなったくらいだ。
「いつか仕事ができるかもしれない」
と思っていたのだ。
その頃、雑誌「宝島」が創刊になった。森進一のイラストが扉になった創刊号、ぼくはそこに「慟哭少年・森進一」というタイトルを見つけた。それから、何年後だろうか。この「慟哭」の意味をTBSドキュメントで実証され
「つまり、そういうことなんだ」
ぼくは何年もさかのぼって納得した。けれどこういうことを伝えたくても、誰にも伝えようがないことに、ただただやきもきしていた。
ぼくは、音をギターの音で理解しようとしていた。
ヴィブラートはフレットの中で揺らす音、半音以内のズレ。こぶしは「チョーキング」やアームを使う音、大きい揺れ。どっちも泣きのギターの延長にあるものだからそう間違いはないと思う。
黙り通した年月を 拾い集めてぇぇ暖めあおう
襟ぃ裳のぉ春はぁ なにもぉなぁぃ春でぇぇす。
そうして鈴木松美所長は、もうひとつの指摘をしてくれた。
高い音、張り上げる音のところで、(そう大きい声ではない)かすかにオクターブ上の音が被っている、というのだ。倍音が突然生まれて、つまりひとりハーモニーをしているという。耳をすませば、細い高音の存在に気がつくし、そうしてひとりハーモニーの様子も聴こえてくるはず。
いまで言えば「高域倍音」と呼ばれるものなのだと思う。でもかつてはこんな言葉はなかったし、誰も注目はしなかった。(それどころか音楽としては未分化なものとして扱われ、またも「コジキ節」の世界に追いたてられそうになる)。
さーて、この人間的な音を楽譜にできるかといえば、むづかしい。こぼれる音、スコアに書ききれない無数の音。けれど、だから歌が人間的になる、という「循環する論理」に落ち着く、という結論はどうだろう。
この言い方なら間違い無いはずだ。
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