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2024年12月15日05:56

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小三治、恋しい12月。

○2008年12月01日の日記再掲載

 東京生まれなんだ。新宿百人町だったかな(隣の柏木説もあり)。山手線の内側生まれはね、そうはいない。都立青山高校を卒業と続くよ。学校を出て、さあ、と学芸大に受験するも失敗。先生になるつもりが、ここで会えなくヘタっちゃった。
「オレ、なにやって生きて行こうか」
 根が真面目、ハタと迷った。うーん悩みに悩んで家にこもってほぼ半年、ようやく抜け出してきた。そしたら「とんでもない」こと言い出した。高校で落研にいた縁を生かして落語家を目指すことにした、というのだ。

 親はずっと地元の小学校の校長で、学芸大に行かせたかったんだよ。

「なんとかやめさせるには、銀太郎さんに頼むしかないか」
 教師ひと筋のカタイ頭をめぐらした。すると父親の小学校の教え子の中に、家が近所の末広亭の子が居たんだね。
「これだ、これしかない」
と席亭の北村銀太郎にひそかに手を回し(うまく断ってください、と)話を進めるのだがこれが空回りした。人生、わからないもんだよ。なんと小さんに気に入られスイスイと入門になっちゃった。

 親はガッカリ、本人はワクワク。トンネル通過だ。
「後戻りはできねぇよ」
と本人は思っていた。

(で、2008年12月の文章に戻ります)

          ○

 暮になると人恋しくなるよね。秋の人恋しさとはちょいと違うぬくもりのあるやつが欲しくなる。人肌ではなく、これが人心というやつさ。

 柳家小三治、寒い風が吹き抜ける12月に
「世迷いながら、あんたも俺も生きている」
と思わせてくれる芸人だ。
「おう、おう、おう、寒くて行けねぇや」
(若い頃から知っているオイラにしてみれば)寒空に筒袖をすぼめ蕎麦屋に飛び込んでいく。その様子が目に見える。
「おう、早番で一杯、頼むよ」

 トシ食ってから声も少し低めになって、間合いも落ちてもうひと調子よくなってきた。まるで押し付けがましさがなくて、ちょうどいい。

 押さえ目に話しをはじめて、少しずつ世界をつくりはじめる。「まくらの名人」というのが褒め言葉だけど、つっかえるような話がそのまま間になっている。生きてる様子が芸になりはじめた、ということかな。
 人が動き出してからは、もう名調子。軽く踊り出すような感じがあるよ。小朝のみょうにスカした感じから比べるとダンチだね。本人のあまり欲得にこだわらない性格が、ここに来ていい方に振れているんだろうね。生来のフラがフラフラと泳ぎ出てきてる。

「お前(めぇ)の話しはちっともおもしろくねぇ」
と若い頃、師匠小さんに言われ悩んでいたそうだけど、それはそれで一理あるにしても、人の動きの味わいは他の誰にもないものがある。あるんだなぁ。
 教師の倅(せがれ)という真面目さとヘロヘロ、フラフラが一体になっている。
「これなら許せる」
という頃合いの仕上がりが、世間の許す小三治の持ち味なんだろうな。

 小さんの言う一理とはどんなものか。柳家とは滑稽話の総帥で、そこが三遊とはちがうところ、クスグリやフラのオンパレードであって欲しいのが小さんの
「希望します」
なのだけどこれが小三治、ちょいと苦しいとこだったんだ。
「蓄音機の前の犬じゃあるまいし、なに首かしげてんだ」
ってなことがとっさに飛び出す名人、志ん生のようには
「あー、なかなかいかないや」
だったのだけど

「お前(めぇ)なぁ、くさい話しはだめだよ。つくり事じゃ客はだませねぇよ」
と志ん生にさとされて肩の荷がなかば下りた。あ、ごめん、ほとんど背中の垢のように落ちた。なにしろ同門に才気の談志がいるからねぇ。

 そこで、
「とくにおもしろいことを言わなくてもいいや」
とプッツリ決めて20年くらいになるのかなあ。素噺のままで構えて、平然と演るようになった。まくらには凝るから、相当、工夫するね。それと、まくらから、噺にうつる時のふっと息を飲むような動作もいい。(本人きっと緊張しているのだけど、実にわからせない)

 いよいよよくなって、はっきり言おう名人になったね。横合から、いやあ申し訳ない、えらそうではずかしぃ。
 けれどカラダの具合のせいもあって、寄席にあまり出ていないようだね。ホール落語や独演会ばかりじゃ芸が「よそ行き」になる、
「一杯引っ掛けて、花園神社のお酉さまを通り抜け、ふらふらっと寄席に寄ったら小三治が居たよ」
という具合に出会いたいものだ。これが落語の暮れの世界なんだけどね。

 そうしてひとこと、言うのさ
「いい暮だったねぇ」

          ○

 この文章の後、師匠小さんの後を受けて「人間国宝」になり、2023年に亡くなった。
 言い方はともかく、「真面目とフラが一体になっている様子」が「人間国宝」への推奨理由の芯だった気がする。

 柳家小三治の後は、五街道雲助が「人間国宝」になった。
 いまから40年前、隣の席の菅さんに「菅さんは、五街道雲助そっくりですね」といったら随分、機嫌を損なった。
「だって雲助ねぇ、この人、いまに人間国宝になるよ」と教えたのだが、叱られっぱなし。わからないのは仕方ないか。慣れてるさ。
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