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2024年02月26日03:35

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「セヴンティーン」の頃。

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 甘露書房という駅裏の古書店だった。すみっこの書架のそのまたすみっこの、とうてい誰にも手に取られそうにもないアナキズム本の隣に、「セヴンティーン」はいた。
 その本のタイトルは「性的人間」。その後半に、やつはひっそりと隠れていた。僕は本を手にした。
「これ、ください」と言うと、元アナキストという噂の親父はじろっと僕を見た。僕は、気恥ずしさを押し隠しながらお金を払った。僕が読むには、どう見ても少し生意気な本だったからだ。

 その時、僕はエイティーンで、迷っていた頃だった。
 その後半部の小説の名前は大江健三郎著「セヴンティーン」。
 山口二矢(おとや)という17才の少年テロリストを描いた小説だった。

 あとで知ったことだが、大江健三郎は右翼と思われる方向からの脅しを恐れ、この本を発行停止にしてしまっていた。だから、この本を読むには古本屋を回るしかなかった。本屋の親父してみれば
「隠しておいたものを、よく見つけたじゃないか」というある種、古本屋冥利に尽きる瞬間だったのだろう。

「このガキ、アナキズムを目指すのか」という愉快な気分もあったのかもしれない。


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(当時のことですから、少々ご勘弁を)

 テロ、なんという美しい響き。
 身をゆだねたくなるような、陶酔感。

と、まあ感じたわけだけれど、大江氏はその感傷に見事に詩的分解をほどこしてくれました。
そうした感触のおおくが性的メタファーであること。そして、さまざまな10代の鬱屈というものがテロというカタルシスを求めて、時に瞬発してくることを。

 山口二矢(おとや)の刀は、まるで性器のようにスーと相手の体に入っていく。緊張は解放され、思考は停止し、実人生は崩壊してゆく。

 当時、佐々木守原作のテロリズム劇画が密かに評判となっていました。そのヒットの秘密も10代の射精のようなテロの崩壊感にあったのだと思います。

 それから数ヵ月後、僕は図書館の中で「やつ」とちがう面会を果たします。電話帳よりぶ厚い雑誌、数百ページにわたる「大日本右翼史」という本の中で、です。山口二矢(おとや)の弁録(弁解録取書)とその周辺が収録されていました。彼、山口二矢(おとや)は弁録の中で事件を「セヴンティーン」のようにありありと語り、大江氏はその言葉の中から、見事に一冊の小説を紡ぎだしているように見えたのです。

 また、僕はおどろきました。小説というのは、こうして生まれてくるのかもしれない。だから、
「この記憶を大事にして行こう。いつかきっと役に立つ日が来る」
 僕のささやかな物書き人生は、この記憶から始まったのかもしれない。


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 山口二矢(おとや)の記憶は、沢木耕太郎の「テロルの決算」というノンフィクションに書かれることでほぼ終焉を迎えます。僕は「大日本右翼史」を探しに探したのですが、もう一度見ることはできませんでした。

 山口二矢(おとや)が刑事に握られた刀身を引かなかったという「テロルの決算」の主題となった事実の所在は「大日本右翼史」の中に合ったのだろうか。いまでも知りたいと思う。

(小説は「ある政治少年の死」と名前が変わっていた)
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