○2009年09月26日の日記、加筆再掲載
えーと儒教の社会秩序の原則を解説しながら、その先にある「天誅」とはなにかを説明する文章です。日本文化のある種の根源、ずーと長い間、庶民が考えてきた「社会の理想」なんですね。ところが、ご存知のように、それは必ずしもうまく回らない。上滑りが歴史の真実かな。
これを書いた頃、ちょうど民主党政権が誕生して「天誅」はタイムリーではあったんですね。しかしせっかくの「天誅」は、3年で外れてしまった。ということなど思い出しながら読んでください。
○
「てやんでぇ、こんなひでぇ話があってたまるかい、お天道さまはお見通しだい。いまにみてろい」
と八っつあん、熊さんが怒りまくる。そこへ、遠山の金さんが出て来て
「お前(めぇ)ら、許さねぇ」
と処罰を下すというのが、時と所(ところ)、カタチを変えて表れる、日本庶民の理想なのですね。
えーと、これは「天」という思想というか、考え方ですね。
「何があっても、お天道さまは見ているよ」とか
「お天道さまはお見通しだい」
とご存じのように使われます。そこで行きすぎた悪に「天の裁き」が下されます。
一時の誤りも、「天」が正してくれるから大丈夫というやつだよね。(といっても数十年くらいはかかることもある)
これ、言わば日本教の根源らしいのだけど、どこからきたのかは、はっきり知らなかった。
で、まあ、ここんとこでこの考え方の大元にたどり着いたのですね。それは儒教です。
どうやら、これ「非理法権天」という儒教で言うところの秩序(強さ)の順序にあるらしい。世の中は、この順番で上から下へできている、という教え。社会秩序というものの定義です。説明します。
学理に則ったきちんとした内容です。
いちばん下の「非」とは無理なこと、無理なことは「理」に勝てない。
けれどどんな「理屈」も「法」には勝てない。「法」は最強の「理」だからね。
では「法」が最強かというと「権」、「権力」には勝てないらしい。だって「権」は時に「法」さえグィと曲げてしまう。
やっぱり「権力」が最強かというと、ところがところが「天」に正される。
となっている。これが儒教で言う社会の自然な秩序だそうですよ。言葉を変えれば「あるがまま」の姿らしい。「天」とは時間で、その時間の中で定まる民のこころの総和とある。
付いで言えば、日本の場合、天=天皇とひとつになることで見事に美しい日本教となった、とされています。
これいろいろつけ合わせてみると面白い。
どうして総理大臣は逮捕されなくて、元総理は逮捕されるのか、とか。(権力失えばただの人です)
ころっと民主党の大臣に謝罪した農林次官とか。(次官は理を尽くすが、権力のバットはブーンと振られる)
「悪法と言えども法なり」と言って処刑されたソクラテスの真意とかね。(理は法に勝てないと大哲学者は承知している)
ぼくに即して言えばずっと「理」がいちばんだと思っていたね。
その上の「法権」なんてのは言わば俗で、まして「天」なんってのはハナから無視だったね。理が勝った考え方というのかな、これ、儒教で言えば「革命派」の考え方らしいね。ぼくが貧する理由は、うーん、やっぱりこれか。うーん、そうなのかな。
ま、ぼくのことはともかく今回の自民党の大敗をつけ合わせてみるといよいよ面白い。(14年前の政権交代です)
「自民党60年、いろいろあった。よくないこともいろいろあったが、総体としてはいいことの方が多ければ大目にみてきたよ。でも、こいつはいけねぇや」となった。
「総体としてはいいことの方が多い」という儒教的正義を実行できない。
ところがやつら「法権」を握ってきた。どうするか。
で、まあ、最後のものが飛び出した「天」だね。
それも「天に誅されたんだ」、はっきりいやぁ「天誅」だね。「天の裁き」よりかなり厳しい。
「誅」という字を辞書で引いてみればよくわかります。「天の裁き」は民事的だが、「天誅」はズバリ実力行使だからね。
○
いままさにジャニーズに「天誅」が下されようとしているのですね。帝国というつまり権力の最上級、巨悪が無法をしでかして土壇場に立たされている。となると儒教の原理に沿えば、正すのは「天」。それもぼくは「誅」すること、つまりジャニーズを解体することを是と考えています。
さあここで前回、民主党政権で一回、学習しているので上手な「天誅」の下し方が後世のためにも試されるときのはずなんだがどうなるか。
(少し危険な話になりますが、安倍さんは未だ「天誅」とする意見の色合いが一部の人の間では残っています。ジャニーズも相当危険水域に入っている気がします)
「非理法権天」と「天誅」をぜひ一度思いおこし、これからの流れの参考にしていただきたいと思うのであります。
ログインしてコメントを確認・投稿する