mixiユーザー(id:5708627)

2023年05月09日02:12

119 view

横浜ノンバーバルとシュンさん。

 シュンさんのことを書きます。書きたいんだけどむずかしくて、このテーマを選ぶまで二日程かかりました。テーマはノンバーバル。非言語的なものとなります。

 えー、「めんどくさそうだな」という声が返ってきそうです。
 言語とか論理は本の分野では最も売れないカテゴリーで
「生きていくのに、なんの不自由もないんだから放っておいて」
と言われるとなんの抵抗力もないんですが、わかりやすく進めますんで、他でもないあなたお付き合いください。

 シュンさんとは、元編集者で亡くなって14〜5年経つでしょうか。おおらかな人で、言葉を業とする人でおおらかな人はほぼいないわけですから、飲んでると生きてるオアシスとなります。
(だってほとんどが、他人を認めない習性でね、ヤダねーが多いのよ)

 さて、ノンバーバルです。言葉にならない表現領域ですね、それをどう言葉にしていくか、それが言葉を業とするものの努めじゃないか、とシュンさんは語るのです。

 これをわかりやすくします。高倉健の世界にするととてもわかりやすいです。映画「冬の花」にします。

 いろんなことを秘めてる健さん。しかしそれを一切、言葉にしない健さん。たくさんの気持ちが画面に込められます。えー、これがノンバーバルな世界です。非言語的なものが溢れます。
 自分が殺った兄弟分の娘を女学校に通わせている。自分はブラジルに住むオジだと言っている。会いたい、しかし、会えない。横浜、石川町・乙女坂を下る健さん。(観客は、ここで学校がフエリスだとわかります)。娘と健さん、知らずにすれ違う。健さん、かすかに空を見上げる。
 真夜中、鎧通しに油を引く健さん。明日はどうやら誰かを刺さなきゃならないようだ。顔が起き、中空を見る。殺された親父(親分)の顔、会えなかった娘の顔、死んだと告げられた女性の顔。
 夜の光の、淡い陽炎のような瞬きの中に浮かぶ思い。

 この無限の広がりを持った思いを言葉にしていくのは辛い。深さが出せないのです。そして、言葉の「下手っぴー」が文字通り下手に言葉にすると、その物事を矮小化してしまうのです。陳腐化ともいいます。

 また健さんの登場です。
「会いたいなあ、あの娘」と健さんが言ったとしましょう。もはや笑っちゃうでしょう。
 
 ノンバーバルなものを言語化することのむずかしさをわかっていただけたでしょうか。
「だから、そういうものは映画に任せておいて」という茶化しが入りそうですが、映画だって台本があるわけです。感情という主観的なものを、垂れ流しにすればどんどん意味は変質していきます。言葉は言葉として、常に努力が必要となるわけです。

 さてさて、横浜の「ポールスター」というバーでの出来事を日記にしました(2007年1月16日)。その中で少し鬱陶しぃバーテンのことを「立っている姿が饒舌なんだよ」と書きました。

 するとシュンさんから、すかさずメールがきました。突然でびっくりしました。

「立っている姿が饒舌なんだよ」
この一言に痺れました。
これって、言語の本質ですよね。
こういう表現の積み重ねを求めて業界に入ったのに、だんだん垂れ流すようになっていく……。
人がノンバーバルの領域で発している表現をどう汲み取り、それをどう表現するかが言語の中心課題だということを、何気ないこの一言が思い出させてくれました。
何事も初心に還れ、ということでしょうか。

 こちらは、高倉健と正反対の用例になりまして画的にはグッと落ちますが、(場所は同じ横浜で)どうにかノンバーバルな世界です。それにしてもなんとも過分な言葉で、褒め言葉というより励ましと受け止めたおぼえがあります。

 表現とか伝達というものを数値にしていくと8割以上、時には9割がノンバーバルなものとされています。ですから言葉はまだまだやることがあるわけですが、どうもここんとこは動画に押されているようです。
 
 シュンさんは松ちゃんの紹介で出会った方ですが、これが人生の縁の面白さで、上のメールをいただくこともあったわけです。なくなって10数年、この気持ちを言葉にするのはやはりむずしいのですね。まず松ちゃんに感謝します。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年05月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031