オードリーの下積み時代
「あんちゃん、死んでもやめるなよ」
ずーと前になります。2010年頃の聞書きです。なぜ今頃と言えば「絶対、面白いから」です。これをよろこばない人は「人でなし」です。保証します。てへ。
○
「われわれ、オードリーはですね」
と話しはじめる若林をさえぎるように、手をパッと広げ、
「ハッハッハッ、みなさーん本物の春日ですよ〜
みなさ〜ん、夢でお会いして、以来ですね〜」
「馬鹿か、お前ッ」
ま、こんなツカミのオードリーなんだが土曜の深夜、なんとオールナイト・ニッポンのパーソナリテイをやっている。これ、お笑いの殿堂みたいな位置だよ。しかも、これ、なかなか、おもしろい。
本人たちは自分たちのことを「ズレ漫才」と言っているが、ぼくは「友情漫才」だと思っている。鳩山さんの「友愛」よりずっと体温があるよ。
で、そこで聴いた「いい話し」でございますよ。
高校のアメラグのチームメートだったふたりは、大学を出た後(ちがう大学だけどね)、
「母ちゃん、おれ、芸人になるから」
と若林のやっとこさっとこの決断でお笑いをはじめた。けれどすぐには売れないよね。ましてふたり共たいしてお笑いの素養があったわけじゃなし。どっちかと言えばカラキシだった。
修行もかねた場としてさるショーパブ(「キサラ」と言います。ハトバスも行くそうです)に出はじめた。
ところがですね、ショーパブというのは派手でわかりやすい芸が受ける。モノマネや歌だね。
ヒデキのそっくりさん、バーモント・ヒデキが
「老〜婆〜(ローラのパロ)」
と歌い上げる、客席を見回すと高年齢の女性がたくさん。ぐるっと見回す仕草で、
「あ、すいません」
これでドカーンだ。
寄り道です。田中真紀子がついに落選をした。
「いかがなものですか」と集まった記者がたずねる。すかさず、真紀子
「老〜婆〜の休日」と一声でした。
当時のオードリーにはフツーの芸もなければ、ましてこんな飛び道具なんてからっきし、出ればシーンだ。
「おれら、ダメなのかな」
若林は悩む。ところが春日はどこ吹く風だ。ショーパブの店員もやりながら、あのぬけぬけした顔で
「いらっしゃいませ〜」
などとやっている。なにしろ店員のギャラの方が、芸のギャラよりずっといい。ネタは若林が考えるんだし、ま、やつの自然体だね、ほぼなにも考えない。
「バカヤロー、春日。
母ちゃん、おれたち、どうしたらいいんだろ」
泣き泣き真っ暗な道だ。
そこをトコトコ、トコトコひとりの先輩がやって来た。
「ビト・たけし」だ。ビートじゃないよ、ビトだ。「ビート・たけし」のそっくりさんというか、それよりもっとすごい「なり切り芸人」だ。
「あんちゃん、あんちゃん」
若林は立ち止まる。「ビト」のたけし声だ。
「あんちゃん、死んでもやめるなよ」
とひと言。そうして例の首をコクコクをさせながら帰っていった。(まんま、たけしの後ろ姿が去って行く)
若林はワンワン泣いた。
「ワンワン泣いたから、次の日からも芸人を続けられた」
と言うのだ。
○
さて、この話の続き、
「ビト・たけし」がオールナイト・ニッポンにやって来た。ゲストでね(と言ったって、実のところは「ビト・たけし」への恩返しです)
村田英雄が楽屋で砂糖とミルクをガバガバ入れて、コーヒーを飲んだ。
そいでね言ったよ。
「コーヒーはブラックにかぎる」
などと昔のたけしのオールナイト・ネタを「ビト・たけし」が目一杯かました。
その後、若林は「ビト・たけし」に
「あんちゃんの昔のあれ、あの時のセリフやってくださいよ」
と真っ暗闇で聞いた「あんちゃん、死んでもやめるなよ」のセリフを頼みこんだ。するとなんとなんと「ビトさん」、あの声で
(じゃあ、いくよ)と薄暗いスタジオのマイクの前に顔を突き出す。そして、さあ、
「あんちゃん、オイラを助けてくれよ」
これでスタジオ中がドカーンときた。
(こんどはオイラが泣きを入れる番だ)、「ビト・たけし」はすましていた。
きっと真夜中の日本中がドカーンときていたよ。どうもあたたかいドカーンだよね。
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