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2026年09月26日08:50

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ジャニーズ論・連載第2弾 『大人になるんだよ』 ━ NHK「ジャニー喜多川 ━ アイドル帝国の実像」より ━

ジャニーズ論・連載第2弾
『大人になるんだよ』
━ NHK「ジャニー喜多川 ━ アイドル帝国の実像」より ━


    1

 ジャニー喜多川は極端な秘密主義だった。あの語り口
「ユーたち、さー」
という呼びかけだけはまあまあよく知られている。だが、それはほんのトバグチで、なにを考え、どんな態度をとったのかははっきりしない。声のない怪物。わずかしかない情報がいまひとつジャニーの存在感を希薄にしているし、それが、ジャニーへの「怒り」の発現を幸か不幸か抑えているのは確実だと思う。その周到さに
「つくづくずる賢いやつだ」
といまにしても腹が立つ。

 ただし、この周到な行動は、ジャニーが所属していたCIAの手法だとぼくは思っている。つまりスパイの常套の手段なんだよ。誰も言い出さないが、ほぼ間違いない。
「CIAでは下っ端だった」
とされているのだが、そうかい、そうだろうか。

 ジャニー喜多川の履歴書には、朝鮮戦争時に米軍顧問団(JUSMAG)の通訳兵として、CIAの下部工作部隊、通称「JACK」に出向していたという決定的な事実がある。そこで彼が叩き込まれたのは、人間の懐に入り込み、無警戒にさせ、情報を抜き取り、組織の意のままに操る「人間工作(エージェント・ハンドリング)」の冷徹な技術だった。

 朝鮮戦争が休戦を迎え、米国の主戦場が「日本のメディア・言論界の思想統制」へとシフトした1950年代半ば、彼は四谷にバー『スポット』を開く。
 この店の開店資金がCIAから直接出たという、サイン入りの領収書のような物証をいまに求めるのは不条理というものだろう。スパイ工作の資金ほど、足のつかない巧妙なルートで洗浄されるものは他にないからだ。しかし、このバーが、後にCIAエージェント(コードネーム:POJACKPOT)だったことが米国の機密文書暴露により公然の秘密となる正力松太郎、その彼が開設した日本テレビ(麹町)の目と鼻の先に置かれていたという地理的符合はどうだ。

 これこそが、JACK帰りのジャニーに与えられた、正力を監視・コントロールするための「夜の拠点(セーフハウス)」だったのではないか。もしそうなら、当時のCIAにとってバーの一軒を平時に維持する隠密資金など、他愛のない金額だったろう。酒と夜の街という無防備な空間で、要人たちの本音を回収する「人間吸音箱」━━それこそが『スポット』の真の機能だったと推測すれば、すべてのパズルのピースがピタリと噛み合う。

 そして、その仕掛けられた舞台で、メリーは藤島泰介と出会い同棲する。学習院出身で上皇陛下の御学友、のちに言論界の第二のエージェントとしてその名が通説となる藤島が、アメリカ帰りの出自の定かでない興行師の姉弟と結びついたのは、単なる恋愛の偶然か。いや、特権階級の言論インテリジェンスと、夜の現場の実行部隊を、CIAが『スポット』という結節点でドッキングさせ、日本の支配層へフリーパスで浸透するための「身辺固定(囲い込み工作)」だったと見るべきだ。(ジュリーは藤島との間に生まれた子供だった)

 地盤を固めたジャニーは、日比谷の三信ビルにあった反共・親米系のフロント組織「アジア自由青年連盟(APYC)」などの少年育成事業を隠れ蓑にうごめき、やがて少年野球チームを誕生させる。ここから、日本から退場しはじめたCIA以外の稼ぎ口を探そうと姉弟の「独自の帝国」が蠢きはじめる。ここまでが、ジャニーズ前期なのだろう。


    2

 本題に話を戻します。

 彼らが何十年も隠し通してきた地獄のリアリティが、かすかだが見えてきた。
 NHK「ジャニー喜多川━アイドル帝国の実像」の中でだ。中谷良の著書『ジャニーズの逆襲』に、ジャニー喜多川のあの「声」が克明に記載されている。
 中谷良は初代ジャニーズの一員で、にこやかな4人の中で、どこか控えめな表情が特に目立つ少年だった。

 その「良くん」のベッドに夜、滑り込んできたジャニーが、知らぬ間に少年の性器に手を伸ばし、その耳元にあの独特の調子で囁きかける。
『これで大人になるんだよ』
 強い湿度、肌をはいずるような低音、性的異端者の特異な声が、文字の奥からようやくぼくたちのそばまで降りてくる。ジャニーの顔が少年の下腹部に近づく、猛烈な、おぞましきリアリティ。ここではじめてぼくたちは、やっとこの事件の実体、その生々しい輪郭を知ることになる。

「そうだったのか」

 ここまで降りてこなければ、とても身に身に染みてはこないものだ。
 やさしげだが地獄の死刑執行人の声。まるで少年の人生を途中でぶつ切りにするギロチンのように、暗闇の中で刃が降りてくる。

 番組で紹介された、あるいは歴史に残された二つの歪んだコメントをここに引きたい。
「お母さん、わかっていたでしょう。どうしてイタズラされるかもしれないジャニーズ事務所に息子さんを連れて行ったんですか」
「人生はイロイロあるし何事も経験だから、広く言えばそんな経験があってもいいかなと思っていたわ」
 これは、わが子を差し出したある母親の言葉だという。そしてもう一つ。
「ジャニーさん、尊敬しています」
「売れてしまえば、ケツの痛みなんてすっかり忘れてしまいますよ」
 後者は元フォーリーブスの北公次らの告発に象徴される、あるいは江木俊夫ら残留組のポーズの裏に透けて見える、歴代のタレントたちが口にし、あるいは内面化させられてきた呪縛の言葉だ。

 どちらも、壊れたラジオから流れるノイズのような、空疎な声に聞こえる。この周囲の空々しさと「見ないふり」の共犯関係こそが、ジャニー喜多川という怪物をこれほどまでに野放図にし、怪物に育て上げてきたのだと思うと、中谷良が命を削って絞り出した「ホントの声」の、悲しいほどの確かさにはうなずくしかない。


    3

 「Show must go on.(ショーは何があっても続けなければならない)」を死ぬまで唱え続けたあの男も、頭の中はとっくに壊れたラジオだったのだろう。なんともバカなやつだ、と思う。

 はじめは小学生だった大島くん(テレビ画面に、にっこり笑った当時の写真がアップになる)は、事務所を辞めるまで実に200回も被害に遭ったと証言している。彼の著書にも、
「やさしくするからね」
という、あのジャニー喜多川の這いずるような声が書き残されている。

 さて、NHKのドキュメンタリー番組を凝視していると、もうひとつ、歴史の底から浮かび上がってくる構造がある。
 ジャニーズという怪物の巨大化は、当時のNHKが必死に進めていた「若者視聴率対策」の波に、見事なまでに乗っかっていた。その冷徹な動きの一部であったことが(これはぼくらの世代だからこそ、肌感覚でくっきりと見えることなのだが)、映像の向こう側に透けて見えている。
 そもそも、当時のジャニーズは、最先端のシティーカルチャーが蠢く東京の街においては、ただの「陳腐な存在」でしかなかった。以前にも書いたことがあるのだが、要するに

「青学のお姉ちゃんが、わざわざ褒めるような代物ではなかった」のだ。

 ロックや深夜ラジオ、アングラなサブカルチャーに熱中していた東京の感度の高い若者から見れば、お仕着せの歌謡曲アイドルなどダサいポップスの典型に過ぎなかった。
 ところがNHKは、東京オリンピック(1964年)が幕を閉じた後、若者の視聴率低迷にほとほと困り果てていた。

 あの時代、東京のまともな若者は「NHKをハナからバカにしきっていた」のだ。理由は二つある。
 ひとつは、1970年という時代に向かって社会が真っ直ぐに激動していく中で、「NHKは権力(自民党)の手先」であり、若者たちの敵であるという強い政治的レッテルが押されていたこと。
 そしてもうひとつは、のちの『レッツゴーヤング』などに象徴される、NHKが提示するあの妙に「衛生的で、お行儀の良いセンス」が、若者にとっては退屈極まりなく、反吐が出るほどバカバカしいものでしかなかったからだ。
「頼むから、もうよしてくれ」
と画面に向かって悲鳴を上げたくなるような、おためごかしの映像。

 ぼくらの世代では、大河ドラマを見たことがない若者なんてゾロゾロいた。ぼく自身も見ないし、もし熱心に見ている奴がソバにいれば、それだけで変人扱いされた時代だ。東京の若者文化の真っ只中において、NHKなんていうのは、ラチ外の、ハナからチャンネルを合わせる価値もない退屈な放送局だったんだ。


    4

 しかし、いくら若者からバカにされようとも、国民的チャンネルを自任するNHKとしては、低迷し続ける若者視聴率をそのまま放っておくわけにはいかなかった。
「このまま若者離れが進み、国会や経営委員会で問題になったらどうしよう」
と、上層部は内心戦々恐々としていただろうし、局内ではそれこそ最大の大問題だったのだろう。

 そこでNHKが下した選択は何だったか。彼らは、あろうことかジャニーズにしゃにむに手を出した。溺れる者が藁をも掴むように、文字通り倒れ込むようにして手を出したのだ。

 当時の番組制作局長だった若林氏を、後年、NHKの取材班が直撃する。すると、カメラを向けられた彼はこううそぶいた。
「あんたら仲間だろう。勘弁してよ」
「国民的チャンネルとしては(若者視聴率を)放って置けないわけだよ。その方策のひとつとして(ジャニーズが)あるわけで、国民的チャンネルとしてはどうあるべきか。そこから話を起してくれないと、答えは出せないよ」

 この若林氏はNHKを退職すると、なんとそのままジャニーズ事務所に天下り、役員(顧問など)の椅子に座った。ジャニーズ利権をいち早く獲得した代表格と言ってよい人物なのだが、「国民的チャンネルとしては、その道ししか選べなかった」という彼の弁明は、いまにして思えばあまりに素直で、あまりにお恥ずかしい自己保身の論理だった。
(もちろん、自分が天下り後に貪った甘い利権のことは綺麗に後回しにしている)

 なぜ、そこまでしてジャニーズだったのか。当時、地方を重点ターゲットとしたNHKの若者政策にとって、ジャニーズはこれ以上ない最高の「玉(コンテンツ)」だったからだ。
 あの頃、地方の(保守的な)大人たちやPTAは、テレビの向こうの新しい風に常にヒステリックな叱責を浴びせていた。
「GS(グループサウンズ)をはじめとした、あの髪の長い『不良文化』をNHKは扱うな。公共放送としての良識を忘れるな」
 ザ・タイガースやザ・テンプターズの失神騒ぎに大人たちが眉をひそめ、エレキギターを持てば「非行少年」と決めつけられた時代だ。NHKはその非難に怯え、GSの出演を徹底的に規制した。

 だが、ジャニーズならどうだ。彼らは一見、髪を短く刈り上げ、笑顔を絶やさず、お行儀よく歌い踊る「クリーンな優等生」の姿をしていた。これなら、地方のうるさい大人たちへの格好の言い訳になる。つまりジャニーズは、若者を取り込みたい、だけど不良文化を扱って叩かれたくはないというNHKにとって、最高の「逃げ道」であり「生きる道」になったのだ。これほど二重に好都合な選択はなかった。

 公共放送であるNHKが率先して敷いたこの「ジャニーズ追従」という歪んだ免罪符の路線を、のちに民放各局(テレビ東京の『ヤンヤン歌うスタジオ』など)も、全く同じように選択し、追従していくことになる。


    5

 では、公共放送であるNHKが下したこの「ジャニーズ選択」が、彼らにどんな影響を与えたのか。

 それは、若者文化が東京から地方へと(グルっと)ネットワークを介してつながる、全国ネットという独特な興行構造を生み出すことになった。演歌や民謡ならいざ知らず、当時の最先端であるはずのポップスが、地方の隅々にまで強固な根を張るなど、普通に考えればあり得ない時代だったのだ。あの芸能界の絶対王者だったナベプロ(渡辺プロダクション)ですら成し得なかった巨大な利権が、地方を軸に生まれることになる。

 その仕組みは、NHKの全国ネットワークをそのままなぞるようにして生まれた。具体的には、�〜換颯張◆爾僚箍鵐襦璽箸任△蝓↓△修譴鮖戮┐襯侫.鵐�ラブの組織化だった。つまり、ジャニーズは「NHKの姿なりに」巨大化したのだ。

 当時、NHKは若者対策として『レッツゴーヤング』などの公開収録を、地方都市の市民会館や公会堂で熱心に行っていた。テレビという文明の利器が東京の華やかさを伝える中、地方の少女たちは「本物のアイドル」に飢えていたのだ。NHKのカメラとステージが地方へ降りていくたび、地元の市民会館は割れんばかりの黄色い歓声と熱狂に包まれた。

 ジャニー喜多川という男は、このNHKが莫大な予算を使って全国に張り巡らせた「地方の少女たちを熱狂させる舞台装置」と「移動ルート」を、自らの興行のためにそのまま居抜きで利用した。NHKの番組で顔と名前を地方の隅々にまで浸透させ、NHKが耕した土地(市民会館)をそのまま翌月の自主コンサートの会場として借り受ける。そして、会場に集まった少女たちをダイレクトにファンクラブへ囲い込んでいく。
 メディアの公的なインフラを私的な集金システムへと横流しするような、これほど完璧な利益構造はないだろう。洗練された東京の若者からは見向きもされなかった「擬似東京文化」としてのジャニーズは、こうしてNHKの手引きによって、地方の少女たちの欲望を吸い上げながら日本全国を制覇したのだ。実のところ、これほど彼らの肥大化のからくりを正確に言い当てたものはないと自負している。

 これまで様々な側面から考察してきたが、結論として、ジャニーズという怪物をここまで野放図に巨大化させ、治外法権の帝国へと育て上げた主犯は、まぎれもなく公共放送・NHKであると言い切って良い。彼らが背負うべき罪の重さは、決して小さくない。

 だからこそ、私は憤る。あの重厚なドキュメンタリー番組をただ一本放送しただけで、すべてを終わらせて良いはずがないだろう。
 メディアの裏事情を伝える報道のなかに、「あのNHKのドキュメントは、元所属タレントの番組起用を再開するための、体裁のよい『ジャニーズ解禁』の前触れ(ガス抜き)に過ぎない」という冷ややかな指摘が出ているのを目にした。
「嘘だろう、ふざけるな」
と、私はテレビに向かって大きな声を張り上げたい衝動に駆られる。


    6

 「国民的チャンネルには、どうしてもあの選択が必要だったんだ」
 そうカメラの向こうでうそぶいた元NHK幹部・若林氏の、過去を一切省みない冷酷な言葉の中に、傷つけられた少年たちの心を思いやる真摯な響きは、ただの一片すら感じることはできなかった。だが、おそらくこれは彼一人に限った話ではない。若林氏と全く同じ信条を持ち、組織の数字や保身のために走った「NHKマン」は、あの巨大な局内に多々いたはずだし、彼らもまた、同じように少年の心など最初から持ち合わせていない人種なのだろう。

 もし、その血の通わない正体が、若林氏の最後の逃げ口上のように「NHKという公共組織のあり方(自己保身の宿命)」にこそあるのだとするのなら。
 彼らが今すべきことは、姑息な番組起用の再開などではない。
「私たちは、過去の罪を狂おしいほどに反省し、未来永劫、なにがあろうともジャニーズ(およびその後継組織)に関わることは一切できない」
という、退路を断った完全な【絶縁宣言】を世に発すること、それしかないと私は思う。

 どんな言い訳を並べ立てようとも、あの国民的ネットワークが、未来ある若い国民を地獄へと引きずり込む「お先棒担ぎ」を率先して担い、長年にわたって見て見ぬふりをし続けたのは、動かしようのない歴史的泥実(事実)なのだから。
 私たちが怒りを忘れ、社会の目がほんの少しでも緩めば、あの暗闇のベッドの中で囁かれた言葉が、再び不気味なエコーとなって繰り返されることになるだろう。
『大人になるんだよ』
 ジャニー喜多川の、あの生理的な嫌悪感を呼び起こす湿った声が、次の犠牲者の耳元で何度も、何度も繰り返されることになる。私たちはその恐怖を、今度こそ直視しなければならない。

 だって、NHKはまぎれもなく、あの怪物を育て上げた「共犯者」なのだから。

                                 (以上)

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