国体論は、「霧のカレリア」。
皇室典範の改正は、実は改憲と護憲の日本対抗戦だったと前回お伝えしました。
仕掛けたのは改憲側、それにしても変な理由だったよ。
「皇族の数の確保のため」
というテーマで話しは、はじまった。
それが知らぬうちに宮家への養子の話しになり、果ては
「養子の子は皇位継承権を有する」
という「森発言」になって大騒ぎになります。ズンと先に進んだ議論。立ち遅れた護憲側は、あわてて
「うーん、これは騙し討ち」
と叫び、決戦になって行きます。
○
かくも狙いすました改憲派の真意はなんだろうか。
ぼくは、それは「国体論」の担ぎ出しにあると思っています。(改憲をイデオロギーで表現すれば国体論になります)
では国体とはなにか。それは、ある一語によって表現されます。
「万世一系、天皇、これを統治す」
天皇が統(しら)す、のが日本のカタチ、それは説明の要もなく神代から伝わる国の体だとされています。
ひいて言えば、日本という国は天皇を頂点とした家族共同体の国である、という意味づけをされます。
さてさて、それがどんな共同体かと言えば、それは(皆がわかっている)ことで説明の余地などないと突き放されます。
では、国体はここで言うように、「希薄な言葉」だったのでしょうか。
1945年8月になっても、
「閣下、国体は守られるでしょうか」
将校たちが駆け回ったのですから、きわめて強いリアリティを持つ言葉だったのは間違いないでしょう。半藤一利「日本のいちばん長い日」の中には、ほぼ全頁、この一語が踊っています。
日本国民の多くにとって、手触り、質感を持った言葉だったのでしょう。
○
「このときに当り、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」
上皇の「即位の礼」でのお言葉です。一部を抜き取ると、そこから話しがはじまるので。まず全文を紹介します。
そして、もっとも重要な(というよりほぼ全部の内容である)1行です。
「…日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い…」ます。
主権は国民で、その国民の総意を遵守するわけです。
ぼくは、この上皇の「お言葉」を聴いて即座に、
「これで右翼(の役目)は、おしまいだね」
「これで死ぬ人が出るかもしれない」
と知り合いの編集者シュンさんに伝えました。シュンさんはフーッと息を飲むようにうなずきました。
数年後、野村秋介が朝日新聞の社屋で自死しました。シュンさんは、
「野村秋介は金に困っていたようです。ですが、そんな世俗のこと省いてみたら、あなたの言う通りなんでしょう」
と、あの日を思い出すように答えてくれました。
○
上皇と安倍政権とは意見が合わなかったことが多い、と伝えられています。(多くは伝聞になってしまいますが、)それは、上皇(の判断の基準)が護憲を背景にしていることにあるのでしょう。
上皇ならびに今上陛下は、戦地へ、被災地へ、足を運び、膝を折り目線を下げ、躊躇なく頭を下げられます。
「国民に寄り添う」というのが、これを習う「お言葉」。右の勢力にとって、このひとつひとつが時に
「我慢のならない」
ことだったのかもしれません。
わかりやすく決定的な比較をします。これがすべてと言って良い比較です。
上皇の意図は
「国民に寄り添う」ですが
国体派の思うところは
「国民を統(しら)す」です。
「寄り添う」と「統(しら)す」がひとつになることはないでしょう。
新憲法下での国体を意味付ける理屈はいくつかあるのですが、国体派の人々にとって完全なカタチでないのは明らかでしょう。
これでは、
「数多の英霊にお詫びのしようがない」
「国体なくては、道義の国、日本は成り立たない」
という声がやまないのでしょう。
○
皇室典範の改訂には、国体論を信奉する人たちからの強いメッセージが込められている気がしてなりません。(それは、国体を破壊しそうな上皇への意趣返しさえ感じます)
このまま行けば、
愛子内親王家は(養子の道はなく)時の経過とともに女性宮家として廃絶の道を進みます。
秋篠宮家は、男子が出生すればさほど波風なく進み、さらに順に男子が出生すれば(旧皇族の)養子の必要さえなくなります。
問題はそうでない時、
秋篠宮家は(内親王家と同じく養子の道はなく)女性宮家となり廃絶の道を進みます。上皇陛下の皇統は、ここで途絶えます。
さあ、そこで「霧の彼方」のような600年前の皇統に、(と言ったって)誰がリアリティを感じるというのだ。
バカバカしくて仕方ない。
ここでスプートニクスの名曲「霧のカレリア」が流れます。
タン、タータ、ターンタ………明るくて虚しいエレキの音。
リアリティの持てないものは、存在さえ難しいのですよ。
無駄なことはよしなさい、国民の総意が感じられなければ、成立しないのです。
(この際ですから、ぜひ「霧のカレリア」を聴いてください。虚しいイメージがよく伝わりますよ)
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