【昭和の落語家たち 15 三遊亭圓生】
わたしは術を使いません。
「師匠、この度は芸術祭の大勝を受賞ということで、まことにおめでとうざいます」
週刊朝日の記者が三遊亭圓生のそばに忍び寄る。
「え、えぇ、まあ、まことにどうもありがたく」
「落語では、はじめての大賞ということですが、師匠、いよいよ芸術でございますよね」
「いえ、あの……わたしは術を使いません」
粋な語り口が得意とは言えない(いささか洒落っ気にかける)三遊亭圓生師。でも、これは、受けた。わかい時からずっと参加していた芸術祭。その中で、落語としてははじめての大賞(その後もいないのではないか)。その受賞パーティでの答え。
一応、不細工ですが、説明をしておきます。
術は使わないわけですから、
「わたしは芸術家ではなく、術のないもの、芸人でございます」
というのが大受けした洒落の正体になる。
それで良いはずだが、待てよー、もっと探れば、
「わたしらは江戸の時代から扇子一本、これひとつでやって来ました。術はよござんす」
という「心意気」だったのかもしれない。やっと気がついた。
○
また余談。圓生は、フンドシのリエちゃんの大先輩にあたります。
えーと昭和35〜6年あたりから圓生は、青蛙房と言う版元から「圓生全集」の出版をはじめようとします。その時、
「所作も残していきたいなあ」
と思った。切に思った。思ったけれど、さあ、方法がない。ビデオもまだまだない頃です。そこへ、玄関先に学生が現れた。
「あのー、あのー、すいませーん」
「なんですか」
「ぼくは、日大の写真科の学生なんですが、圓生師匠の写真を撮らせてもらえないでしょうか」
えー、学生時代の篠山紀信、突然の登場です。
渡りに船、圓生に紀信。こりゃあ、都合がいいと、すぐに話しはまとまって。
「鰍沢」の、お熊が
「亭主の仇(かたき)、さあ見てやがれぇ」
雪の中、転がりいざる旅人を目がけ鉄砲を身構える姿が写真に収まったのです。
以後、「圓生全集」の口絵はすべて篠山紀信の写真になります。
写真集「サンタフエ」で、フンドシ姿の宮沢リエちゃんは弓を絞る、キリリッ。ぼくには、圓生が演じるお熊が谷底目掛け鉄砲を構える姿がどうにも重なって仕方がない。
○
元々は豊竹豆仮名太夫、大阪育ちの子供義太夫。学齢前からの「寄席育ち」。
これが、ある日、石段を踏み損なってヒョイと転び、胸を強打した。アイターッ、寝込んでしまった。
「これはですねぇ、うーん、力む仕事は、心の臓にあたるので無理だと思ってください」
医者からの忠告で、さあ困った
「お前、どうする」
おっかさんに聞かれて
「うん、噺家になるよ」
と即答したそう。
楽屋の階段に腰掛けておぼえた落語は山ほどあるし、
「この前、抜けの穴を、あたいが埋めたら受けたし、楽しかった」
おぼえがある。というわけで噺家になりました。
○
小さいうちは、よかった。
「おもしれぇ、子供だ」
どこに行っても人気者。おかげで毎日が寄せ通いになる。なもんで、ほとんど学校に行かずに大きくなっていった。
圓生の名著「寄席育ち」そのまんま、朝から晩まで寄席育ちです。
「えー、そう言うわけでがしょ、だからね、学校のことを聞かれるのが嫌で、嫌で…」
「学校の方は、どうしてますかと側で聞かれるでげしょ、返事ができない」
「たんびたんびにねぇ、えー、まあ、なんとか…とか言って、誤魔化し、誤魔化してきました」
「学校が、わたくしの泣き所になっちゃいましてね。
でもねぇ、なんでも一生懸命やればそこが学校だと思ってね。そしたら、いくらか落ち着きました」
「寄席育ち」が圧倒的な話しの数を作り出した。それは間違いないところ。一方、他所(よそ)を知らない「寄席育ち」が(よく言われる)「人間の幅を欠いている」もとになったというのもあるだろうねぇ。あるよねぇ。だってさあ、普通はね、
「噺家とは、一体、親不孝の果てになるものだ」
これが、すっきりした王道。間違いない。だから、(巡り巡って)ためにもなる。とも言える。
ところが、圓生は違っちゃった。
おっかさんに孝行したくて噺家になったという。どうも、こういう噺家、見たことも聞いたこともない。親不孝のひとつもしないで噺家になるなんてぇのは、道に外れています。えー、邪道でゲス。
ぼくはねぇ、ここんとこを強く意見をします。
つまりね、持って回っているようだけど、ほんとに言いたいのは、先々の分裂騒動の起点はきっとこの辺にある(ということなんですよ、えぇ)。
「噺家も名人と呼ばれるようになると、あとはもう人間が問題になるんだよ。
人間性でね、同じ名人でもちょっとずつ差が出てくる。
そこが圓生さんは惜しいんだ。芸のレベルまで人間が行ってたら、明治の大圓朝、以来の噺家と言ってもいいほどなんだよ」
という新宿末広の席亭、北村銀四郎の言葉が残っている。
けれどねぇ、その原因が「親不孝が足りてねぇ」で答えになるのだろうか。
○
と、みなさんが知らない話をと選(よ)っていたら、肝心の「芸の話」が抜けていた。で、ね、「芸の話」の決定版。
自慢じゃあないが、これ以上のない研究です。はい。
『人気が出たきっかけ教えます』という原稿から。
えー、物事のキッカケとは、なかなかわからないという話しです。
特に、これが、人気となるとますますわからない。人気とは、人の気ですからね、風で動く、陽気で動く、言っちゃあ悪いがときどき金で動く、こともある。
昨日まで人気だったものが、どうもすっかり下火になる。ところがどうにも目だないものが、ふとしたキッカケで人気者になる。
芸人の世界では、こうしたことがままある。このあっと言う間に芸が変わって人気者になる、これを落語の世界では化(ば)けると言いますね。
「化けたねぇ、あの噺家、ヘボが吹っ飛んで名人になっちゃった」
など町内の話の種になるわけです。
どーも前振りが長くなりまして、昭和の名人、三遊亭圓生のお話です。
ま、大名人でありまして、噺の数・質、調子、様子、どこから見ても欠点のない名人でした。えー、まあ、わたくしもゆくゆくはこの人が名人と贔屓にさせてもらいました。小学生でした。
「小学生、うーん、どうもこのけしからんという」
師匠、お構いなく、お構いなく。
どうも末広の最前列に毎度、座るぼくをけしからんと思ってたらしく、ぼくがいると親孝行とか小言の噺ばかり。もしかしたら意見をしているつもりなのかと思ってましたね。
「ダメだよ、あーた、おっかさんが心配するだろう」なんてのを頭の上でやるんだから。
圓生師、わかいうちは実のところ地味で面白みのない、噺家だったとされています。人気も、ま、あまりでありまして。文楽がつけたあだ名が『中国の留学生」。この言葉がなかなか当時の様子を伝えてくれます。
少し説明をします。呉清源という碁打ちがいましてね。(戦前に)中国から来た、わかき天才だ。けれど詰襟姿で青白い神経質そうな顔。記者がたずねた。
「呉先生、碁が強くなるとはどんなものなのでしょうか」
この質問に呉先生、じーと考えた。10分程考えて、ひと言「技術です」。確かだが、どうにも面白みとは反対の世界の人ですね。文楽師、皮肉にもこの方のことを承知で「あだ名」にした。
圓生は満州から帰ってきてオモシロくなった。これが定説となっているのだが「いいや、違うね」がぼくの説。
「圓生はね、謡(うた)を入れることで良くなったのさ」
謡(うた)、わかりやすく歌でいいかな。落語の世界では歌は噺の中にたくさん出てくるし、謡調子(うたいちょうし)という言葉もあるくらい。
「明石、ちょいとでりゃよ〜お、良いとこ岬、さいさい、さい」、野晒しの才才節。
「オンガ〜ボギャアノ、ギャアスロべ」お経だけどこれも歌、小言幸兵衛。
圓生は子供義太夫の出身で豊竹豆仮名太夫、胸を患って噺家になった。歌うのはお手のもの、というより小さい頃から身についた芸。ひょいと歌が入って、噺が明るくなった、軽くなった。
「どうも、ここんとこの圓生はいいねぇ」
ウケが良いから自信もついた。そうして、すべてがいい方向に回りはじめた。というのがぼくの説。
「うちお父さんの噺で何がいちばんだと思う」
「包丁、そうだね、あたしもね包丁がいちばんだと思うのよ。うれしいねぇ」
圓生師のカミさん「はなさん」と惣領弟子の円楽とのやり取りです。
その「包丁」ですが枕のところを少しだけ、(すぐに答えが出ます)
「えー、まあ、この音曲噺というものございまして、中で歌などが出てくるという」
本人の言葉です。
(自分で言うのもなんですが、これ以上の圓生解説は、はい、ないでしょう)
○
「えー、あんた、ずいぶん知ってるようだから聞くけど、どの噺がほんとにいちばん良かったのかい」
全席、聞いたことのある人は、まあ、いない。
数ある噺の中で、カミさんの「はなさん」は「包丁」という。
談志が自分の「ひとり会」で「包丁」を高座にかけようと稽古をするんだがこれがうまくいかない。
「しょうがねぇなあ」
そうこうすると、当日になる。ヒゲ面の顎をカキカキ、脇から出て来て、
「…どうにもうまくいかねぇんだ。きょうは代演だよ」
代演を知らせる、
「この人ぁ、名人だよ。聴いてやって、おくんなぃ」
それだけ行って、談志は引っ込む。切れたところで、出囃子が鳴り(おや「正札附」じゃないか)、本人が出てくる。
「えー、へ、へッ、どうも、談志さんにご紹介いただきまして。三遊亭圓生でございます」
客席は呆気に取られ、すっかり声が出ない。(ゆっくり、ゆっくり拍手が鳴り出す)
と噺を並べれてくれば、「包丁」と言うと思うでしょう。
フ、フ、フ、フッ…。違います。
「おい、お前、大変なことしてくれたじゃないか」
通りの影の中に消えるように立っていた男が、行き過ぎる男に声をかける、
「……エ、エ、エーッ、アーッ…すいません……ワ、悪気はなかった。どうにも食いぱぐれっていて、それで」
「バカヤロウ、やっちまったことは仕方ない。ついて来い」
祠(ほこら)のような中、真っ暗い階段をまっつぐ下に降りて行く。
「師匠、真っ暗ですよ」
「いいから、黙ってついて来い」
階段を降り切ると、ボー、ボー、たくさんの蝋燭がついた広間が続いている。
「どうだ、これが寿命の蝋燭だ。わかるか」
「これを、お前がデタラメにしちまった」
「…………」
「これ見てみろ」
ボー、ボーと燃える蝋燭を指差す。
「元気よく燃えてますね」
「お前のせがれだ」
「へえー、元気がとりえのガキなんで」
「隣もよく燃えていますね」
「お前のカカァだ」
「…ありがてぇ、バケベソとは何年もあってねぇが、
親子そろって無事ならなによりだ」
「ところで師匠、このいまにも消えそうな蝋燭、これ、なんですか」
「お前だよ、お前…お前が消えそうなものと入れ替えちまいやがったのよ」
「ほーら、いまにも危ねぇや」
ヨタヨタ、火は揺れて、息をしている。
「師匠、師匠…死神さん、こ、こ、こいツァ、よくねぇや、よくねぇよぉ…
助けてくだせい、お願いします」
「ガキにも、カカァにもいま一度会ってみてぇ…助けてくだせい」
「フーン、助かりてぇか」
(野郎、グシュグシュになっている)
「ベソかいてやがる」
「これ、あげるよ、上手くスゲェりゃあ助かるぞ。やってみな」
少し長めの蝋燭を手渡すんだが、野郎、すっかりブルが出てもはや上手くつかめない。
「あ、あ、ありがとございます」
「オッと、オッと…オ、オ」
手が震える。
「消えるよ、消えるよ…」
震える手、押さえたいが、こいつが止まらない、
「早くしねぇと、ほら……消えるよ」
かっと目を見開くと、パタン、三遊亭圓生、覆いかぶさるように(高座ではなく)舞台にうずくまる。
「とたん落ち」です。
とたんに、1,900席あった歌舞伎座の場内が、シーンと水を打ったように静まった。
「死神」の一席でございました。スポットが圓生の背中に白く落ちている。
デ、デ、デ、デェーン(一拍、置いて太鼓が鳴ります)。
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