「推し」が独裁をつくる。
なるべく理屈は言いたくないのだが、これはどうしても理屈になるなあ。
「理に働けば角がたつ」
のだが、でもねぇ、これは言わないと。
「推し」という言葉、この流行りものが市中に広まってどのくらいたつか。
いえねぇ、元は大した悪いものじゃねぇ、たかが「推し」だ。しかしまあ、どんどん大手を振って通りを行くとなると、よせやい
「デカいツラするようになって」
あちこちに問題も目に付くようになる。
独裁ってわかるか、「どーく、さーい」だ。この「く、さーい」の跋扈に関わっているという話しをしてみたい。
まず「推し」のはじまりを探ります。
これは夕焼けニャンニャン「おニャン子クラブ」からとされている。それがねぇ、モー娘に繋がって、AKB48のセンター投票までくると、立派な市民権を得てきた。で、ね、いまや「推し」のカタチ、進め方で変化球まで生まれるという騒ぎだなあ。
「推し」の意味、いくつかあるが「人にすすめたいほど気に入っている人物や物のこと」というのが第一義として出てくる。この定義が、そのままストレートに現状をなぞっていると思う。
つまり、言葉の芯にあるのは「気に入っている」というだけ。そして「気に入っている」ことをひたすら広めようという行動と、あいなる。
では広めて、どうなるか。違えて言えば、なぜ、広めようとハマるか。
これがいい。主にドーパミン放出による快感、承認欲求や自己肯定感の充足、そして居場所の確保と書いてあるじゃないか。
どうも皮肉だね。けれど、すっかり正しい。
カンタンに言やぁ、(あんまり相手されていない)自分、その自分が「気に入っている」ものが世間に広まることで、
「どう、俺は大したもんだ」
と自分で自分をいささか興奮、増長させる行為となっている。
露骨に言えば、さみしい奴らのなぐさみだ。
この自慰的行為はなにを生むか。そーよ、そこよ。
この本来は社会性のない行為が、社会化されると「どーく、さーい」を生みやすいという話だ。
「どーく、さーい」ってのはねぇ、
閉塞された個人が、自分の解放を「気に入っているもの」に仮託する行為がはじまりになる。
その行動が偏ったカタチで拡大し、大衆化されることで作られた政治的権力のあり方、というわけだ。
なんとか簡単に言えないかな。
おれのヒイキがね、おれに変わって偉くなると、その度に、おれも偉くなった気分になる。
「なにー、イビツだとー」
いいじゃないか、あばたもエクボ、推せ推せだ。
そういうことさ。ひいきの熱気球上げ。
「はー、上がった、上がった。変形カボチャ、天まで、とどけ〜」
そういうことで、虚名の連鎖が拡大、上昇していく様(さま)。気づいたら、驚異の大きさになっている。それが「どーく、さーい」だ。ドイツ・ナチズムの発生、昨年のトランプの煽り行為、プーチンの演説。どれもハマっているでしょう。
「しかし、それのなにがイケナイの」
はい、きましたあー。この当事者の無自覚こそ「どーく、さーい」の毒そのものです。
当事者は自分の「気に入っている」ものを推しているのだから、
「なーんも悪くない」
と思っている。心底です。というか「推し」に対し客観性を保持できない人が独裁を作り出す、わけだからどだい、
「言っても無駄なわけですね」。
だんだん答えに近づきます。自分の「気に入っている」もの、好き嫌いで物事の良し悪しを決める危うさ。
「どーく、さーい」なんて、わずかそれくらいの種で仕上がるもの。かんたんにあっという間に出来上がり、よろこんでいるうちに我を忘れる、というのが正しい。
なにを忘れるかといえば、中身と勢いの区別がつかなくなること。
きちんと考えると、必ずと言っていいくらいほぼ頓挫するという陳腐な代物が、上昇気流の目眩しに「我を忘れて」しまうんですね。
きちんと考えると通用しそうにないものが、(時の勢いなどで)通用してしまう。独裁の発生とは、こういうものでしょう。
独裁の発生、イコール、一時的ブームの発生でいいのでしょう。
ところがだ、時運ですね、時代と妙にハマるとさらにブームの継続になる。不景気だったり、失業だったり、社会的不満と「推し」が一本の縄をよじるようにひとつになる。
グルグルグル、グルグルグル。
やがて縄は龍になり、空に上がり、空から世界を脅かす、と。
独裁の構図とは、こういうこと。
時運というところに歴史や経済の様々な事情が当てはまるんだけど、独裁自体はいくらさらけ出しても毎度こんなもので、もともと「内容は、無いよー」なのです。ここでまた理屈が必要なのですが、いちばんかんたんな答え。
歴史が証明しています。すべての独裁が無思想でした。あったところで、擬似思想。はい。
挙げ句は、民族主義にハマる、差別主義にハマる、大概、このどちらかにもたれ込んできます。
プーチンは、大ロシア主義。
トランプは、MAGAという汎アメリカ主義。
(高市さんは、隠れ安倍式右翼思想)
と見回せばすぐにわかることです。
不思議なことに、権力を差し出そうという意志がどの「推し」の過程にもあるのですね。「推し」が自慰的行為であるという定義に沿えば、これも自分が(内心で)欲している権力を自分の側に近づけたい衝動ということがわかります。
その権力の生成過程は、「モスラの祈り」がいちばんよく表しているでしょう。
モスラや、モスラ〜(ジャングルの中で、歌っています)
祈りの真ん中には、羽化する前の「さなぎ」が安置している。やがて「さなぎ」はモスラに成長し、飛び立ち街を破壊する。
「モスラ」を知らない人にはまことに申し訳ない話しだが、独裁権力の生成過程のカリカチュアとしてはこんなに見事なものはない。昔の人は、とことん独裁を恐れていた、だからできた映像なのでしょう。(「モスラ」は60年台の映画です)
えーと、元に戻ります。みんな気楽に使っているけど「推し」には、意外な毒が詰まっていると理解いただければそれだけでまずは良いわけです。(理解があれば、一時的ブームでおさまるのです)。社会化されないので、えー、
モスラは羽化しない。
ダメな理由ですよ、はーい。(せめてこうしておきましょう)使いようが悪ければ、
つまり「推し」は独裁やジャニーズを生む、唯一無二の根源です。
○
あちこち書き飛ばしました。あとは、
�‘蛤曚�「なぜ無思想なのか」さらに詳しくですね。
�△覆漆祐屬論�懲りもなく独裁を繰り返すか。バッカじゃなーい。
という2点を書けば、どうやら完パケかな。
独裁というのは、「推し」という虚構の作り出す悪、虚悪です。そりゃあそうだよね。冷静にみてれば、トランプがあそこまで力を持つわけはない。それが、起きてしまう。
理屈ではなく、時の勢いとはいえ、人はバカな選択をしてしまうのはなぜか。
とりあえず「推し」が独裁をつくる。これだけを、まず覚えておいてください。そこから後は、次に譲って、本日はここまでです。
ログインしてコメントを確認・投稿する